8日の22時30分(NHK教育)放映されたで、

「知る楽~稲村和夫リーダーの条件」という番組を見ました。

番組自身は経営理念の話が中心だったのですが、

番組中に
「理念を曲げないと会社が持たないような時はどうするのですか?」という問いに、
「つぶれるんです。理念を曲げてまで生きてても仕方がないでしょう」とばっさりでした。

後日、友人とこの話をしていた時に、
稲村氏はこの質問自体が本来無意味であることを見抜いていたのでああいう回答をしたと言っていました。
いっけん賢そうな質問ですが、実は無意味な質問であるとも言っていました。

そこで教えてください。
この質問が無意味であるというのは何処にあるのでしょうか?

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理念は大事ですけど・・・ junjunichi2006/06/15 15:19:14

確かに理念は大事だとおもいます。しかし、日本社会の村畑主義の中では理念のある会社は少ないと思います。私から見れば理念=金の会社が生き残ってしまっているように感じますが。

理想、理念など追求しすぎれば倒産になりますし、あまりにも理念=金になってしまうとLD、村上ファンドのようになってしまいます。やはり最後は経営者の経営センス、理念、理想、金の頃合をどうするかにかかってくると思います。

稲盛さん自身の理念って何? casper9992006/06/14 09:11:01

自分はこの番組も見ておりませんし、書籍も「実学」を読んだぐらいで、稲盛さん自身の理念もよく知りません。

もし社会貢献が含まれるのであれば、出資するKDDIで携帯通話料から大きな利潤を上げ、その一方で日本の次代を担う若者達の可処分時間・所得を浪費させるという社会現象の一翼を担っていることは、自分には「言ってることと、やってることが大違い」としか思えません。

ということで、特に不法行為でなくても、経営理念が崩れることはありうるのではないでしょうか。

また、出家の件もパフォーマンスくさいし、生臭坊主に見えるだけです。仏弟子になるのであれば、得度で充分じゃないでしょうか。

選択肢が他に無い質問は無意味 ラージアイ・イレブン2006/06/14 01:16:27

「理念を曲げないと会社が持たないような時」という条件設定は、選択肢が「理念をまげて生き残る」しかありません。

つまり、生き残るためには理念を曲げるしかないという前提で、経営者に「どうする?」と選択させているわけです。

そんな質問、経営者としての判断もクソも無いでしょう。選択肢がひとつしかないなら、どんなに優秀な経営者でも無能な経営者でも、それを選ぶしかありません。

優秀な経営者は、選択肢が無い状態にならないようにたくさんの選択肢を持って立ち回れる経営者であって、選択肢が他に無いような状況になることはありません。追い込まれ、おいつめられて、やむを得ずそうするしかないというような判断ばかりやっている経営者は無能です。

「理念を曲げないと会社が持たないような時」に立ち会わなければならないような状況は、すでに経営が失敗しているということです。

だから番組に出た経営者は、「理念を曲げないと会社が持たないような時」という条件の質問に「経営者をやめる」と答えたのではないでしょうか。

100% そう断定できるのでしょうか? takokuro2006/06/13 21:46:43

是非での二元論割り切れるほど、この世は甘いのでしょうか?

この10年で多くの理念を持ってるが故に、倒産に追いやられた中小企業の経営者の懸命の努力、存在を否定することになりはしませんか?

【きれいごと】で押し切る、、カルトに見る共通点です。

お会いしたこともなく、その著書もソニーの井深氏と同様、私には他に買って読みたい本があるので名前だけはお見かけしますが、呼んだこともなく、、よって稲盛氏ご自身がどうこう言うのではなく、周りの信奉者?らの囚われ精神が不気味に思えるのですが。。

理念そのものが、会社が潰れない⇒利潤追求が【大前提】では?! takokuro2006/06/13 21:31:54

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%A...

生長の家、哲学者中村天風の影響を強く受けていたとのこと。

1997年9月7日、臨済宗妙心寺派円福寺にて出家。

IECECが取り扱った永久機関に付いて調査費を出した事がある。

また、阪神淡路大震災の直後、被災地の塾生達に、

『大病になるとか挫折するとか、そういう災難に遭うのは、自分が過去に―先祖をも含めて―魂が積んできたカルマ、業というものが消えるときなのです。私は皆さんに、災難に遭ったら喜びなさい、とよく言います。それは、自分が今まで犯した罪が消えるのだから、その程度のことで済んでよかったではないかと言いたいわけです。実際、今度の震災では不運にも亡くなられた方がたくさんいらっしゃいますが、皆さんはこうして元気に生きておられます。つまり、あなたの魂が今まで積み重ねてきた因果が災難に遭って消え、カルマが消えたのです。土地にもカルマがあります。神戸周辺は昔の源平合戦やいろんなことがあって、そこには定着したカルマがあったでしょう。私には、そういう積み重ねられたカルマを清算するために、今度のような大震災が起きたとしか思えません。』とのこと。。。

盛和塾編『経営者たちの大震災-稲森和夫と経営者たちが語るクライシス・マネジメント』1996年、出版文化社刊

斎藤貴男『カルト資本主義』1997年6月、文藝春秋刊

経営理念を曲げてしまう時とは、オイシイ話があるときなのでは? blue_forester2006/06/13 20:05:11

その番組、私も見ました。

私も見ていて、その質問に嫌にアナウンサー(というか質問者)が固着しているなって思いました。

 稲盛さんが、その質問を無意味かどうか感じていたかはわかりませんが、質問した側の意図として、究極の選択肢「企業の存続か、経営理念の固持か」を選択させることで稲盛さんの”経営理念を曲げてはならない”という主張を、より強調させたかったのかもしれません。こういった質問に解答する形で、ゲストに何かを言わせようとするパターンは、プロジェクトXのときも多々見られましたから、今回もそんな感じではないのではないでしょうか。まともにこの質問を捕らえ、かつ解答者の主張の内容に踏み込まない範囲で、いわせていただくと解かりきった質問をするな、という気持ちになります。(NHKの独特な、ゲストに対してのいらない(言いすぎですがゲストに尻尾を振る一見逆説的で手の込んだ)気の使い方だと私は思っています。)その質問で、回答者が質問者の意図しない回答をしたことを聞いたことがありません。これも言いすぎですが、”やらせ”、曰く”いわせ”に不快感を覚えます。それにしてもこの質問はあまりにひどい質問と思えます。経営理念が崩れるケースというのは大抵、オイシイ(儲かる)ネタがでてきた場合であり、構造的な倒産のケースでは究極の二者択一の選択以前に、倒産直前の企業には既に経営理念など崩れてしまっているのではないでしょうか。また、そうではなく突発的な倒産の危機であるケースを想定しても、経営理念を曲げる行為とはいったい何をさしているのでしょうか?犯罪行為を指すのでしょうか(例えば、粉飾や政治家への不正献金、暴力行為等)?しかしそれは論外です。稲盛さんのいっている経営理念とはその企業の具体的な経営活動に影響を与える、あくまで抽象的なものであり、具体的な行為と比較するのも、(質問者の意図した回答を得るためには)適切な質問ではないと感じました。(但し、京セラは、昔、とても痛い目にあったので、どんなときでも経営理念を曲げないという稲盛さんの言葉には真実味がありました。)

 

”この質問が無意味であるというは何処か”ですが、さきほど散々言いたいことを書いてしまったあとで申し訳ありませんが、この質問が酷い質問に違いありませんが、客観的に無意味かどうかはまでは解かりませんので、何処が無意味になるかはわかりません。

質問の主旨とは異なりますが、稲盛さんの主張”経営理念を曲げてはならない”に対して私も、前の解答者の方々と同様に賛成です。私は経営者ではありませんが、会社の方向性やルールを示す経営理念こそが、生命線であり、成長の鍵となるものだと思います。お金を増やす(つまり世の中や消費者に価値があると認められた財やサービスを提供し、貨幣を受け取る)こと自体はすばらしいことだと思いますが、自ら進むべき方向性を失った企業や経営者は、犯罪に手を染めるか本来の業務を怠った結果として、最後にはやはり大舞台からは消えてしまっています。

 最近、コーポレートガバナンスや、CSR(企業の社会的責任)といった言葉が、粉飾のあった企業が出るたびに新聞を賑わせていますが、こういた言葉のもとは、経営理念という一言に尽きるものであり、これだけ世の中が複雑化、多様化している中、企業のありかたをきちんと位置づける動きは、最もだと感じています。もっとも、先ほども書きましたが、景気のいい話が出てきたときほど、経営者の手綱はゆるみ、最終的に犯罪行為に手を染めるので、経営理念とは、健全な経営を行うための最後の砦であり、それを死守することが社会に対してのマナーであり、企業にとってのブランドとなるかと思います。

理念=存在意義 jampan992006/06/13 01:31:22

なるほど....倒産や買収についてもそういう考え方があるのですね。

それと純粋な理念ほど分かりやすく市場経済に浸透しやすいという考え方勉強になりました。ありがとうございます。

たしかに.... jampan992006/06/13 01:27:33

理念を持つ事が会社の存在意義。

私も確かにそう教わってきました。

ただ、最近お金を稼ぐ執念で会社を存続させてる数の多い事といったら....

会社は理念と運命を共にするもの はむ!2006/06/13 01:06:54

稲村氏(稲盛氏?)の意見と同じかどうかわかりませんが、自分の考えで書かせていただきます。

#この質問とその回答が「無意味」かどうかというと「無意味」とも思いません。このためご質問の意図からは外れるかもしれませんね・・・。


現状の日本ではまだ財閥系の会社が「理念よりも生き残りを優先する」というような形で生きているのは確かです。そのような形も「あり」とは思います。しかしながら、本来市場経済では、「会社=理念」であるほうが資本の分配がうまくいくのです。そしてその「理念」は純粋なものであるほうが良い。


というのは、会社がある理念に基づいて設立されているならば、理念を投資家が評価し、今後生き残れそうな理念には投資をし、生き残れなさそうな理念からは投資を引き払う、という形で資本が流動的に分配されます。


たとえばGoogle社などは、その理念が純粋であり、そしてその理念の将来性が評価されたために、早い段階から市場で非常に高い株価をつけ、それによってより多くの優秀な人を雇い、設備投資を行うことができます。これによって経済そのものの「重心」が動いていきます。


このような市場経済のダイナミックさをできるだけ利用しようとするとき、会社が理念に基づいて構成されていて、理念と運命を共にする、というような形が望ましいのです。そしてその理念が意味をなくしたときには買収、倒産などによって人材や資産を次の世代の会社(=理念)へと引き渡すわけです。倒産することは必ずしも悪いことではなく、それと同時に生まれる会社も多ければ経済全体としては問題ありません。



もっとも現実的には、経営者は時代にあわせて理念をいじったりもしますし、あまり理念を共にしない「部分」が集まっている会社もあるでしょう。

そのような現実に対し、より理念に忠実であることによって市場経済を活用しよう、という表明なのではないでしょうか?

ありえない。 kitata12006/06/12 22:31:52

会社は、理念を持つことによって成り立っている。

したがって理念のない会社は、ありえない。

なるほど・・・・ jampan992006/06/12 15:24:21

>稲盛和夫さんではないですか?

その通りです!大変失礼しました。

偉大な方なのに・・・お恥ずかしい:泣


>「会社が持たない」ことを主に置いています。

なるほど・・・・大前提の問題という部分が焦点なのですね。

理念を曲げなければ会社はつぶれないから sylphid6662006/06/12 12:58:58

この質問は「会社が持たない」ことを主に置いています。

ただ、ここで言いたいことは理念を曲げさえしなければ、会社はつぶれることはない。

なので、「理念を曲げない」ことが前提なので、会社はつぶれることはない。つまり、質問自体が無意味だと言うことです。

人名は稲盛和夫さんではないですか?京セラの創業者の方ですよね?

 

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