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いくつか説明できると思います。
<言葉の表現の問題>
「1回目」を過ぎたら、その次からは「2回目」「3回目」と続くので、もう「1回目」を創造するのは不可能です。
nameforhatenaさんのおっしゃる様に、「生まれ変わる」でもいいと思いますが、ただ「喪失」を使っているだけだと思います。
全ての「ゴール」が次への「スタート」地点だと考えたら理解しやすいと思います。
<はかなさ>
「喪失」「失う」という言葉を使って、はかなさを表現していると考えられます。
人間はセックスを学習・娯楽・逃避・快楽・繁栄などの対象にします。
動物と違い、繁栄のためだけにセックスをしていない人間は、それを「快楽」の対象としたときに、「エロチズム」を求めます。
エロチズムの中にはいわゆるSとMが存在し、「失う」「喪失」という言葉を使うことによって、被(こうむ)った、という表現をしていると考えられます。
URLはダミーです。
これはいつか、テレビの性教育でやっていたのを思い出して、文章にしてみました。
nameforhatenaさんの「無くなってますか?」の質問に直答すると、「フィジカルに無くなるものはありません。無くなるものは、“初回”です」
因みに、処女幕なんて幕はありません。
これって、なんの質問か良くわからないのですが多分アニコスイメクラ体験記のURLを探してくれって事なんだろうと思うけども・・・
喪失というのは、まんま対象がなくなるということです。無くなっているのは童貞という属性ですね。やる気を失くすといっても、なにか無くなってるわけではないのと同じです。形あるものではないです。普段、形あるものは無くす、亡くすと書きますが、形のないものは失うと表現することが多いですね。どっちもそんなに変わんないですけど。
記憶を失う。思い出を失う。無垢な心を失うとも言いますな。でもそれって世間ずれしただけで失ったというよりも汚れたって感じですね。でも喪失と表現します。
・・・ああでも処女膜はなくなってんのかなあ
じゃあ、失って喪失して生まれ変わって汚れて世間ズレして大人になることって皆一緒?(バカ
前のご解答にありますが、処女膜ってないそうですよ。膣口が狭くなっている場所が裂傷を負うことはあるらしい。聞いた話ではよく運動をする女性などは初体験時も出血がないことがあるとかです
http://www.hatena.ne.jp/1062540170
数年前、アニメのコスプレをしたイメクラ(?)の体験記がウェブに載っていました。「アイドル声優-僕の童貞喪失」より笑いましたが、そのURL。ところでなんで童貞とか処女.. - 人力検索はてな
URLはダミーです。
ここは、子供も見ます。
後半の質問は、はてな違反です。
はてな違反、、おれはそうは思いません。性的興奮を誘うことが目的ではありませんので。むしろ前半のほうが問題では?いわゆるフーゾクの体験記を見つけて欲しいということですから。
>L.フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』のなかに、「ヨーロッパでは未婚の女の最高の栄誉と貴さは貞操であり、またその純潔が犯されない貞潔さである。日本の女は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いていても名誉も失わなければ結婚もできる」(中略)などの記述が見られるが、戦国時代だけでなく、はるか奈良平安の昔から明治の初期に至るまで、日本人は性に関してかなりおおらかだったらしい。処女などは尊重されないばかりか、「男とまだ性交をしたことがない」という意味での「処女」という概念そのものがなかったらしい。(以下略)
>意外に思われるかも知れませんが、童貞喪失の定義については、第2次世界大戦中までは世界どの国においても極めて曖昧なものでした。それは誰もそんなことを気にしていなかったからであります。(以下略)
というわけで、性の概念や価値は時代とともに移り変わるようですね。
本題から外れるので、ポイントはなくてもいいです。
大変面白いです。適切な検索をなさったかと思います。類ネットって名前が面白いですねってここ見たことあるな。
蛇足ですが、私見に因れば、「ポイントはいりません」と注釈のついている解答ほどおれは面白いし読む価値があるし、その人の個性が表れていると思います。
あなたの質問履歴を拝見しました。多種多様な方面にご関心があるようですね。あなたのことはほとんどわかりませんが、勝手に推察すれば年若い学生さんでいらっしゃる。がんばれ!おれはがんばれませんでした。
学生時代というのは長い辛い人生においてほとんど唯一といって良いほど何をしても世間が許してくれる宝石のように貴重な数年間です。たのしんでください。
またね
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4576010212/hatena-q-22
Amazon.co.jp: アイドル声優―僕の童貞喪失 (マドンナメイト文庫): 睦月 影郎: 本
前半用、参考。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4166603167/hatena-q-22
Amazon.co.jp: 日本の童貞 (文春新書): 渋谷 知美: 本
後半用、参考。
ご解答ありがとう。前者はともかく、後者はおもしろそうな本ですね。おれのセカンド童貞を捧げる方は決まってますが、相手がそんなモンいらんといいそうだよ母さん!
後者、リンクをたどっていきましたらhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/cm/member-reviews/-/A...という方がヒットしました。この人も雑多で広範囲な興味をお持ちで、、また、相変わらずやまがたさんは効率よくベスト50レビューアでいらっしゃる。このひとすごいんですよ、レビューの投稿あたりの獲得ポイントがとても高い。さすがおれの油断ならない親友、SuCa君のおともだちだけはあるなあー
たいへんどうもありがとう、そっけない記述だけれどもおれにはフィットしました。
後者の回答がメインになってるみたいなので場違いっぽいですけど(^^;)、一応前者の回答です。
これかな? (オリジナルが消えちゃってるので Internet Archiveですけど ^^;)
回答しておいてなんですが、もしこれだったとしても、中身がほとんどアーカイブされてないみたいなのでポイント不要です。
お邪魔しました。
せっかくご解答いただきましたが、確認できませんでした、、んー、、俺が見たときは普通のアニメ/同人ぽいデザインで、隠しリンクっぽいところをクリックするとでーんと開陳されていました。
ポイントについては悩ましいです。ゆっくり考えます。どうもありがとう。
ふふ、哲学問答ですか。好きです
・コイガールマジックで服を買えば金が減ります。勝利を得れば敗北を失います。結婚すれば独身生活を失う。理の当然ですが、なにがおっしゃりたいのでしょうか。
・知れば知るほど〜、というのはおそらく謙遜であり自戒です。よって第一行とは意味が違います。私見に因れば精神科医と政治家と詐欺師はその手のすり替えが得意ですが、、あなたは?
えーと、、再回答できますよね。あなたが俺を説得しきればポイントをダーンと差し上げますし、おれの管理するml、加入しているml、掲示板にその旨大書しましょう。
0と1の差が、1と2の差と違う点は、有るか無いかにわけられる点です。
他のどんな数よりも零が貴重なのは、唯一無を表すからです。
よって、性交経験が零とは貴重であり惜しむべき存在であるので「失う」と表するのです。
ほんとうに無知な者は、己の無知さ加減すらも知らないのです。
>私見に因れば精神科医と政治家と詐欺師
>はその手のすり替えが得意ですが、、
>あなたは?
私?私は貴重な人間です。
性行為の意味や価値を解釈理解するにあたって、回数をもってするということにおれは同意していません。
こちらは過去の事を余り鮮明に覚えている方ではないのですが、最近童貞を失ったオタクな知り合いが言う処によると、経験以降は性的な妄想からファンタジー的な物が希薄になったとの事です。
彼に言わせると、経験者の性的妄想は現実に則っているが、未経験者のそれは非常に幻想的で現実に囚われない自由な発想に基づく物らしいです。
ですので、童貞と共に失われるのは異性や性行為に対する「自由な妄想力」なのかもしれません。
尤も、上記のサイトでは、性行為経験後も妄想力を失わない「D.T.」と言う新しい概念も紹介されていますけれど。
少しは何かの御参考になれば幸いです。
なんかちょっと微妙にあれですが、サイトは面白かったです。ありがとう。
地球人ネットワークを創るアルク:スペースアルク
まず、こちらで ”virginity” をお引きになれば用例が出て参ります。
lose one’s virginity at a very young age とても[かなり]若い時に[年で]処女[童貞]を失う
give one’s virginity to 〜に処女を捧げる
deprived of one’s virginity, be 処女を奪われる、純潔を奪われる
get rid of one’s virginity 処女を捨てる
hold onto one’s virginity あくまで純潔を守る
keep one’s virginity 童貞を守る
lose one’s virginity 処女を失う
physical virginity 肉体的処女性
preserve one’s virginity 童貞を守る
respect someone’s virginity (人)の処女性を尊重する
rob a girl of her virginity 処女を奪う
secondary virginity 第二次処女性
take a girl’s virginity 女を傷物にする
white rose of virginity 白バラのような清浄
young woman’s virginity 若い女性の純潔
日本語訳では「処女」「童貞」と名詞扱いしていますが、英語における ”virginity” のニュアンスを尊重すれば、「処女性」ないし「純潔」という意味ですね。
ですから、「失う」「奪う」「守る」「捨てる」のは、あくまでも「処女性」という「性質」でしかありません。
(Kokusai junior-900330): 『赤ずきん』の童話 −ヴァリエーションとパロディの世界−
〔3〕「赤ずきん」の話に見られる深層構造 −象徴について−
<お婆さんの存在>
【赤ずきんのお母さんは、決して森の中に住んでいるお婆さんに会いに行きたくはなかったのではないだろうか。危険を承知の上で、娘を一人で派遣したのだろう。赤ずきんとお婆さんに親しくなってほしくなかったにちがいない。なぜならたった一人深い森の中に追いやってしまったのだから。】
【「瓶をこわすな」等の母の戒めを性の危険および処女性の喪失に対する警戒ととる解釈の他に、母親が娘に、お婆さんとはあまり親しくなるなと言いたかったのではないかと考えられる。】
3. イメージの変容と変奏(続き)@ 映写室 1アニメ(
)>「押井アニメにおける映像テーマの変奏と展開 」
【少女が抱く卵が子宮の象徴だとして,その卵が孵るのかどうか考えてみると,少女が少女のままでいる限りは、彼女が母親になれるはずもなく、彼女が抱く卵が孵ることはありえないわけです。青年に卵を割られるというのは彼女の処女性の喪失を意味し、少女は女になる。しかし卵を失った少女は、もはや卵の母親になることはできません。】
ジャンヌダルク リュック・ベッソン監督
【人を殺めることの戦慄と快感から抜け出せなくなる聖少女・・・フランス人に見られたら石を投げられるでしょう(笑)。小説を書く動機として一番強いものは「批判精神」だと思っています。この人は嫌いだ、間違ってると思うからそれを伝えたくてあえて逆のストーリィを作る、それもアリなんじゃないかと。だから狂気にとり付かせるか、恋に堕とすか、どちらかにしようと思って。ただ「処女性の喪失」だけはどうしても避けたかったので(『ジャンヌ・ダルク暗殺』ネタバレ感想参照)、恋をさせるにしてもプラトニックに、「戦どころじゃないのよ」っていう馬鹿な女を演出するのもいいかな、と(どっちにしてもフランス人に殺されます)。】
「処女性」について (1999.2.3)
【「処女性」が重要でないのなら幼女への強制猥褻の罪は半減する。軽い罪になるでせうね。私は極めて重罪だと認識する。なぜなら「処女性」が極めて重要な人格権、すなわち基本的人権に係わる事柄だからです。
私が尊重する「処女性」とは、自我によって守られる処女というもので、幼女のそれではない。】
――つまり基本的人権に関わる自我という人格上の問題というべきものですね。ただこれは近代的(ないし現代的)自我であって、このような認識は以前には存在しなかったものだと思われます。
性
【若者と性】
【日本の村落社会では,今日ではほぼ消滅しているが少なくとも第二次世界大戦前まではほぼ全国的に若者宿(寝宿・泊り宿)が存在し,15歳前後で元服祝い・烏帽子祝い・兵児祝いなどの成人儀礼を終えた若者は結婚までの期間,夜間は若者宿に宿泊する習慣があった。同時に,地方によってはその衰退の時期は若者宿より早いが,娘宿が存在したところもある。若者宿は一つには年長者から農漁業の技術や神楽など伝統芸能を習得する場であったが,その最大の機能は配偶者をみいだすための機関であった。といってけっして男女の乱行の場ではなく,若者による一定の掟が定められ,それに従いながら秩序が保たれた。若者宿での生活期間中に娘仲間との交渉をもったり,よばいの習慣を通して,しだいに特定の相手との恋愛関係を樹立し,自己の意志により配偶者を選択したのである。】
【婚姻と性】
【庶民の結婚は以上のように村内婚・恋愛婚・婿人り婚が主体を占めていたが,近世以降の武家社会においては,その社会を支えた家父長制の家族原理,そしてその根幹となった儒教思想の浸透により,村外婚・嫁入り婚・見合い婚が普及し,その形式はしだいに庶民社会にも及んだ。その結果,とくに女性の側には処女性や貞淑であることが要求され,性に対する意識は大きく変化した。】
――このように「処女性」の概念がなかったか、あったとしてもほとんど価値を持たない時代から、家父長制あるいは儒教思想の浸透によって「処女性や貞淑」の意識が生じたわけです。
現代社会においては、欧州・北米・中央アフリカあたりは、もはや ”virginity” など何の価値もありません。欧州では未婚の母の割合は日本では考えられないほど増えていますし、北米ではシリアル・モノガミー――、
asahi.com : MYTOWN : USA: アメリカが分かる「文化人類学」
【*一夫一婦制は4世紀ごろローマン・カトリックが教会財産の拡大を目的に打ち出した制度で、必ずしも人間社会の普遍の原則とは言えない。(同制度では夫婦に嫡出子がいない場合、彼らの死後、その財産は教区に帰属することになっていた。)近年のアメリカでは結婚、離婚、再婚、再再婚が普通となり、いわばシリアル・モノガミー(連続した一夫一婦制)とでもいう状況になりつつある。】
――が普通になっていますからね。一方、儒教の影響が残っている韓国や、ムスリム(イスラム教圏)ではいまもなお ”virginity” が強固に尊重されていると言われています。
ちなみに、「処女」は女性に限りますが、「童貞」は男女ともに使われます。特にキリスト教では「童貞マリア」とも呼びます。
Queen Elizabeth I - ME
【エリザベスが王位についたのは25歳の時で、以後44年間、69歳まで女王として君臨しました。一生独身を貫いたため the Virgin Queen と呼ばれていましたが、彼女が結婚しなかったのは、幼少時代から結婚と離婚を繰り返し、自分の母とまま母を処刑してしまった父王の姿や、政治の道具としての結婚の空しさを感じていたからだと言われています。】
→
http://www.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England
Elizabeth I of England - Wikipedia, the free encyclopedia
ここでの ”Virgin” は「結婚しなかった」程度の意味にすぎず、エリザベスにはロバート・ダドリーなど愛人が何人かいたようです。けれどもバージニア州などの名前の由来になっています。
http://www.bartleby.com/59/16/virginia.html
Bartleby.com: Great Books Online -- Quotes, Poems, Novels, Classics and hundreds more
Virginia. The New Dictionary of Cultural Literacy, Third Edition. 2002
’Named for Queen Elizabeth I, the “Virgin Queen.”’
Mainichi INTERACTIVE くらし・娯楽 映画のページ: 女性の視点で性を描き続ける 「処女」のカトリーヌ・ブレイヤ監督
【「性のアイデンティティーは男女それぞれ違う。これまで映画で描かれてきた女性は、あくまで男性の目から見た女性にすぎない。だからこそ映像作家として、女性をどう描くかに新しさを感じる」。過激な映像とは異なり、穏やかに話す。】
【監督は反論する。「私の映画は、エロチシズムを喚起させるためのものではなくて、性のアイデンティティを喚起させるもの。人間は感情があるからそういう見方をしてしまう。動物たちの性行為を撮っても、卑猥とは見ないし、そう表現しない。愛情とか感情とかが絡み合うことはエロチックかもしれないけれども、卑猥というのとは違う」 】
【ブレイヤ監督はこの作品で、処女とはどういうもので、これを突破するというのは、どういう意味があるか。処女をなくすというのはどういうことかを描く。「一番最初の性行というのは、誰にでもある。男の子は行為自体が重要だが、女性は違う。処女を突破するということには社会的な意味も付いてくる。けれども、女性は失ったら失ったらで、別の社会通念に縛られることになる」と男性と女性の状況の違いを強調する。】
いろいろ引用してきましたが、結局のところ、「処女性」というのは、個人のアイデンティティに関わる問題となりますね。しかも、これは社会上の概念でしかない。つまり「処女性」の概念は、歴史的・宗教的・文化的な価値観によって捉え方が異なってくるといえるでしょう。
さらに現代では、個々人それぞれが別の捉え方をしても、特に不思議だとは言えない状況が現出しつつあります。家父長制や儒教思想はもうほとんど残っていませんからね。
http://uk.imdb.com/title/tt0243255/combined
À ma soeur! (2001)
DVDアルファルファ インタビュー: 第26回(2003.3.20)ロキサーヌ・メスキダ(『処女』の主演女優)二ページ目。
Q:日本とフランスにおいて、処女という概念はどのように違うと思われますか?
【フランスのような開放的な自由な国でも、処女の喪失というテーマはタブーで取り上げられることはあまりないわね。だから、若い女の子がそのことについて誰かに相談するという雰囲気はないわけ。そういったことで悩んでいた私の一番の親友である女の子が、この映画を見て勇気づけられたというのを聞いて、とてもうれしかった。】
とはいえ、フランスはカトリックの国ですから宗教的禁忌の程度はドイツなどに比べると強いといえます。
マタイによる福音書 20
【このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。】(一・二二〜二三)
【この予言の新共同訳が「おとめ」と訳している語は、ヘブライ語聖書では《アルマー》という語で、これは既婚と未婚を問わず結婚適齢期の女性を指します。未婚女性を指す《ベツラー》ではないので、他のギリシャ語訳聖書は「若い女」と訳していますが、七十人訳ギリシャ語聖書は処女という意味をも含む《パルテノス》という訳語を用いていますので、マタイは自分が用いる処女懐妊の伝承の聖書証言に最適だとしてこの訳を使ったと見られます。】
http://www.bekkoame.ne.jp/~j-carp/03religion/01kimura/02.htm
404 Error - Not Found
処女降誕か私生児か
一、 聖書学の立場からの批判
【「処女降誕」説が歴史的事実でないとして批判される最も重要な、そして説得力のある根拠は、聖書学の立場からのものです。
新約聖書の中には、「処女降誕」という言葉自体は出てきません。それは、初代教会の神学者たちによって作られた神学用語です。そして、「処女降誕」の根拠とされる新約聖書の記事は、マタイ一:十八〜二十一とルカ一:二十六〜三十八の二箇所だけです。マルコやヨハネの福音書にも、パウロの書簡集の中にも、「処女降誕」に関する内容は述べられていません。特に、パウロのガラテヤの信徒への手紙の「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法のもとに生まれたものとしてお遣わしになりました」(四・四)という言葉は、パウロが処女降誕を認めていなかったことを示す言葉と言えます。それは、もしパウロが、「処女降誕」について知っており、また「処女降誕」を信じていたなら、決して「女から」とは書かず、「処女から」と書くか、イエスの奇跡的な誕生に関する何らかの表現を使ったはずだからです。このパウロの言葉は、マタイやルカの福音書よりも先に書かれたので、このことは、上のこととともに「処女降誕」物語が、後に創作され付け加えられたことの根拠とされています。】
【さらに、「処女降誕」を証明する預言であると考えられてきた旧約聖書のイザヤ書七:十四「見よ、処女(おとめ)が身ごもって、男の子を産みその名をインマヌエルと呼ぶ」という言葉も、現代の聖書学者たちによって、メシアの誕生を預言する言葉ではないことが一般的に認められています。ここで「処女(おとめ)」と訳されている「アルマー」というヘブライ語は、必ずしも「処女」を意味せず、「若い女性」という広い意味を持っています。それが、ギリシャ語訳聖書に訳されたときに、ギリシャ語の「処女」を意味する言葉、「パルテノス」に訳されてしまったのです。いわば、誤訳です。】
http://www.wikipedia.org/wiki/Virgin_birth_%28arguments%29
Virgin birth of Jesus - Wikipedia, the free encyclopedia
Virgin birth (arguments) - Wikipedia
【There are two important words in Hebrew that can be translated into English as ”virgin”, bethulah, and `almah. Isaiah uses `almah, and so Christians have tried to demonstrate that the word unambiguously means ”virgin”, while their opponents, Jewish and otherwise, have tried to demonstrate that the word means simply ”young woman”, without any necessary connotation of virginity. 】
【bethulah is accepted in modern Hebrew usage as the characteristic Hebrew word for virgin, although it is also seems to be used in the Hebrew Bible to refer to women who have had sex but who cannot conceive.】
処女懐胎→
【マタイ伝では天使の告げる言葉が、ギリシア語である七十人訳のイザヤ書からそのまま引用されている。即ち、「見よ、乙女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」(マタイ伝 1:23、イザヤ書 7:14)。この箇所の「乙女」は「若い娘」の「誤訳」であるといった話が、キリスト教を揶揄する際に好んで口にされているようだが、問題はそれ程単純ではない。】
【そもそも七十人訳は、キリスト教の生まれる以前の紀元前3世紀から前2世紀にかけての翻訳作業であって、キリスト教とは関係が無い。また、該当箇所のヘブライ語アルマー alma には、「若い娘」と「乙女」両方の意味があり、これは解釈の問題であって「誤訳」ではない(実際、ヘブライ原典から訳された新共同訳は「おとめ」を採用している)。】
泡沫録2003-07
七月十四日
【図書館本の続き。ドゥブルーの『女性と神話』は、ギリシアの女神たちの豊富な考察。「ヘラの処女回復」の章では処女と訳されることの多いパルテノスの語が、処女を意味せず、子供を生んでいない女性にすぎないことを示す。そもそも処女という概念が古代にはないのだ。】
パルテノス(parthenos)という言葉は、古代(紀元前四世紀よりもはるか以前)には、単に「子供を生んでいない女性」という意味でした(紀元前四世紀になると、すでに処女という意味が含まれていたのは確実ですが)。
アルマー(`almah)というヘブライ語は若い娘(young woman)という意味。これを七十人訳ギリシア語聖書(紀元前百年ごろに成文として成立)がパルテノスと訳してしまった。これが原因となって処女懐胎=「童貞マリア」伝説の下地となった形跡があります。「乙女」説もあるようですが、少なくとも未婚女性を指すベツラー(bethulah)ではなかったんです。
以上、古代へと話が横道にそれましたが、「処女という概念」がなかった時代(たとえば古代ギリシア)も実際にあったということです。
だとすれば、やはり「処女性」というのは、社会通念上の概念と考えなければならないでしょう。
したがって、最初に戻りますが、「処女性」を「失う」「奪う」「守る」「捨てる」と表現したとき、その意味内容は、社会通念上、すなわち歴史的・宗教的・文化的な価値観に基づく概念上の「処女性」に規定され、そして依存するといえます。
実際、日本古代の妻問い婚(通い婚)は貴族階級のものでしたし、中世の若者宿は庶民のものでした。どちらにおいても、「処女性」を「失う」「奪う」「守る」「捨てる」という表現する場面は少なかったと思われます。
「処女性」を「失う」という表現は、もはや家父長制や儒教思想の残滓で、家父長制の時代と比べると、その意味する内容も「軽い」表現になりはてていますので、今後さらに内容が変化・変質していくでしょう。
参考:
http://www.wikipedia.org/wiki/Virgin
Virginity - Wikipedia, the free encyclopedia
Virgin - Wikipedia
うわぁい。またくわしくいろいろと、、最後の三パラグラフのためによくぞそこまで調べまくりますね。おれのとらない論述スタイルだ、、なるほど、事実をして語らしめよですか。そこまで調べ上げるのにどれくらいかかりましたか?あなたは検索プロではないと謙遜しておられましたが、、
ところで、あのう、そちらの履歴を拝見しました。法学学徒でいらっしゃるようですか? 緊急避難で、失われてよい価値に人命が含みえるか関心があるのですが、、http://www.hatena.ne.jp/1062498154
もう一度質問しなおしたら答えていただけるのかしら。。んー? zero@seaple.icc.ne.jpまでご一報いただくか、おれ日記書いているのでそこにコメントいただくかできませんでしょうか。
宜しくお願いします。
面白い!あとでゆっくり読みます。