こういうことを言った哲学者が誰だかわかるサイトあるいは文献はないでしょうか。
超越論的哲学の創始者はカントなのだが、その起源は、ソクラテスの「無知の知」にまで遡る。 とのことです。
エンゲルスでしょうか?
直接的な感じではありませんが、ニュアンスとして
ありがとうございます。確かにニュアンスとしてはこういう感じです。
実は私が読んだのはある本の引用部分で、自分の理解があっているかどうかを原典を当たったりして確かめたいのです。
しかし肝心の引用部分がどの本に書いてあったのかがわからなくなってしまったのです。
もう少し一般論としての言葉で「抽象的に説明するのは愚かだ」と言った人はいないでしょうか。
ご紹介のエンゲルスからの引用だった可能性は否定できません。しかし確信も持てない状態です。
すみませんが、質問を継続させていただきます。
P.S
実は根拠もなくニーチェだと思っていて、探したのですが、ニーチェの著作などにそういう記述が見当たらなくてこの質問をした次第です。
もしかしたらニーチェから連想できる近しい人なのかもしれません。
http://www.kotoba.ne.jp/~dune/index.cgi?k=wit_ethic
Dune's ウィトゲンシュタイン Page : 倫理学講話
そういった主張を普通の言葉でストレートに言った哲学者としたら、バートランド・ラッセルかウィトゲンシュタインではないかと思いました。
違っているかも知れませんが、私の知識範囲ではそんなものです。
ウィトゲンシュタインは手元に「論理哲学論考」があったので、最後のほうから以下記述を抜き出しました。
『哲学の本来の方法とは本来、次のごときものであろう。語られうるもの以外なにも語らぬこと。ゆえに、自然科学の命題以外なにも語らぬこと。ゆえに、哲学となんのかかわりももたぬものしか語らぬこと。--そして他の人が形而上学的なことがらを語ろうとするたびごとに、君は自分の命題の中で、ある全く意義を持たない記号を使っていると、指摘してやること。』
あげたURLページではウィトゲンシュタインから以下の引用文がみつかります。
『ソクラテスの対話を読むと、こんな気持ちにおそわれる。なんとおそるべき時間の無駄! なにも証明せず、なにも明らかにしない、これらの議論は、なんの役に立つのか?』 -反哲学的断章
『すなわち、このような無意味な表現は、私が未だ正しい表現を発見していないから無意味なのではなくて、それらの無意味さこそがほかならぬそれらの本質だからだ、ということが私には今やわかるのであります。』-倫理学講話
バートランド・ラッセルも気になりますが、今ちょっと探せません。
いろいろな人がいろんな側面から提起している主張のようですね。私の質問内容が曖昧すぎるのでしょうか。
しかしみなさんの回答を読ませていただいて、大変勉強になっております。
このまま質問をつづけさせていただきます。
当初の質問よりも深い内容になってきておりますので、私がストンと納得できた回答をいただけれた場合には200ポイント以上は差し上げたいと思います。
引き続きよろしくお願いします。
私もラッセルに関して調べてみます。ありがとうございました。>rundgrenさん
http://russell.cool.ne.jp/beginner/CHILD-F.HTM
バートランド・ラッセルのページ(初心者用):子供と友達(『ラッセル思想辞典』より)
「子供には、どんな事でもその場で具体的に示すべきで、抽象的な道徳的な説教は愚かで、時間の浪費である」とのラッセルの引用があります。子供に限ってはいますが。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4657855093/qid%3D108997...
Amazon.co.jp: ラッセル思想辞典: 本: 牧野 力
この本からの引用みたいです。
遅くなって申し訳ありません。
これかもしれません。ご紹介いただいた本をあたってみます。ありがとうございました。
あ、いえ。少し違うような。
「抽象的に説明する」という行為そのものを愚かな行為だと言った人がいたと思うのです。
しかしそれをどこで読んだのかさっぱり思い出せません。
引き続き質問を継続いたします。よろしくお願いします。