また棒「を」ふる、ではなくて棒「に」ふる、なぜでしょう。
こちらの記事の122によると、その語源には有力な説が無いんだそうです。一例としては『辛うじて「家を売り払う(その時に棒を振る)羽目になる...」という
ような説明が見つかった。』とはありますが。
棒にふるで検索したら、「人生棒にふる」という使用例がいっぱいありました。
以下、URLの内容を引用しました。
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●棒に振る(ぼうにふる)●
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「棒を振る」なら解るけど、「棒に振る」とはどういうこと?
昔、棒手振(ぼうてふり)と呼ばれた商人がいたんですが、そこ
からきているようです。
棒手振とは、店を構えることができなかった商人が、天秤棒をか
ついで売り歩いていたひとのことで、どんなに良い商品を扱って
いても、安く買い叩かれて、繁盛しなかったそうです。
そのため、棒手振をやり続けなければならず、一生店を構えるこ
とができずなかったんですね。結局、一生、天秤棒を振ることに
なってしまったということのようです。
そこから転じて、「努力や苦心を無駄にする」という意味になっ
たみたいです。
ありがとうございます。先にいただいた回答で「有力な説はない」とのことだったのですが、では、有力でなくても様々な説を知りたいと思っていたところでした。
で、「棒」とは、この説では、天秤棒のことでしたか。でも、「一生棒をふる」でもよさげですね。
「に」の(うそでもいいから(笑))納得してしまう解説も引き続き募集します。
どうもありがとうございます。
既出となってしまいました。
棒手振という、昔の商人の名前が由来のようです
これは、店を持つことができずに、天秤棒をかついで売り歩いていたひとのことで、良い商品でも安く買い叩かれたことから、努力が報われないという意味からこうなったようです
こちらの文脈から察するに、棒に振るで棒手振りをするという意味があるようです
Grapevine
有力な説でなくてよろしいのでしたら、このような記事もあります。
『法隆寺ではあのセクシーな観音菩薩像、薬師寺では東西のストゥーパを朝な夕なに眺めて、足を棒に振ったと書いている。「棒に振る」とはいままでの努力や苦労を無にすることだから師匠もそこで「無」になったということかな。』
と、こちらのページに。
ここでは「棒引きに由来か?」とあります
「に」はやはり不明ですが
「消去」の意味の消し線を引くのは
感覚として近いような気もします
Yahoo! JAPAN
URLダミーです。
小学館 日本国語大辞典 第2版 第11巻によると、語源説については既出の「棒手振にして売り払う意より」とかかれていて、その出典は「上方語源辞典」らしいです。
用例としては1665年頃の仮名草紙・浮世物語、1694年の浮世草子・好色万金丹、1802年〜09年の滑稽本、東海道中膝栗毛などから引用がありました。いずれも「棒にふる」でした。
この国語大辞典では、ほかに「ぼうにあう」「ぼうにする」「ぼうになる」「ぼうにひく」が載っていました。
さすがに江戸文学の辞典類まで調べる余裕はありませんが…ご参考まで。
ぼうになる、ぼうにひくetcという言い回しもあるのですね。
勉強になります。ありがとうございました。
手元にある、古い故事・ことわざ辞典(1981年刊)によると、「誤った個所には棒線をひくし、帳簿では記入することがないところにも棒線をひく。このようにそれまでの努力をふいにすること。また、せっかくやってきた幸運を逃がすことをいう。」とあります。
これは憶測ですが、「を」でなく「に」なのは、上の説でいうと「棒線のもの(ダメなもの)」にしてしまう、ということなのでは。
URLは引用した辞典の出版元のものです。改訂版はでていないようです。
どうもありがとうございます。
結構な良スレなのに、ご紹介いただいた発言にコメントがついていないのが惜しいですね。
やはりナゾな言葉でしたか・・・