また、般若心経の色即是空・空即是色の「空」は、一般には「実体がない」という意味だとされていますが、思い切って「般若心経の空も10のマイナス21乗である」ととらえてはいけないでしょうか。また、それを時間概念として受け止めて、時間の最小変化量である⊿tということにならないでしょうか。
http://www.moroo.com/uzokusou/misc/suumei/suumei.html
↑はこのことについての調査結果が載っているページです。
さて、結論から言いますと、当初塵劫記には「空」という単位がなかったようです。
分・厘・毛・糸・忽…塵・埃で終わってしまっているのです。
ただ、「当初」ということで、複写されるうちにどんどん記述が加わってしまい、
同じ塵劫記でもずいぶんと記述が違うということらしいです。
さらに、塵劫記の元ネタとなったといわれる中国の算術書である算法統宗によると、
埃・渺・漠・模糊・逡巡…六徳・虚空・清浄のあたりの単位は名前だけ、とされています。
そもそも、虚空・清浄を虚・空・清・浄と分けるかどうかすら定説がないわけです。
従って、これが漢字文化圏の共通概念として受けとめるのは危険であると思います。
それどころか、日本の共通時間概念として解することすら危ないのかも知れません。
どちらにしろ、⊿tにはできないと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%B9%E9%82%A3
ちなみに、仏教での時間の最小単位は「刹那」だそうです。
一説によると1/75秒。また一説によると具体的な時間的長さは設定できないようです。
http://www.moroo.com/uzokusou/misc/suumei/suumei.html
↑はこのことについての調査結果が載っているページです。
さて、結論から言いますと、当初塵劫記には「空」という単位がなかったようです。
分・厘・毛・糸・忽…塵・埃で終わってしまっているのです。
ただ、「当初」ということで、複写されるうちにどんどん記述が加わってしまい、
同じ塵劫記でもずいぶんと記述が違うということらしいです。
さらに、塵劫記の元ネタとなったといわれる中国の算術書である算法統宗によると、
埃・渺・漠・模糊・逡巡…六徳・虚空・清浄のあたりの単位は名前だけ、とされています。
そもそも、虚空・清浄を虚・空・清・浄と分けるかどうかすら定説がないわけです。
従って、これが漢字文化圏の共通概念として受けとめるのは危険であると思います。
それどころか、日本の共通時間概念として解することすら危ないのかも知れません。
どちらにしろ、⊿tにはできないと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%B9%E9%82%A3
ちなみに、仏教での時間の最小単位は「刹那」だそうです。
一説によると1/75秒。また一説によると具体的な時間的長さは設定できないようです。
ありがとうございます。
調べて、ウェブで公開しておられる方がいただけでも、感動です
空集合φの「空」だと捉えた方が的確じゃないでしょうか?「10のマイナス21乗」だとまだ実体がありますから。
微分積分で考えるよりも公理的集合論を参照にした考え方をした方が合ってる様な、気が、します。
http://en.wikipedia.org/wiki/Axiom_of_empty_set
http://en.wikipedia.org/wiki/Axiom_of_infinity
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4826900252/503-5020711-...
集合論ですか。
そうすると色即是空はどういう意味になりますか。
相手の色が「実体」という存在概念、空間概念なので、空はもしかしたら時間概念かもしれないなあと思ったのですが。
『塵劫記』にいう「空」は「刹那」や「清浄」などと供にインドの仏典から出たもので、中国の『算法統宗』によるものですから、漢字文化圏に共通するものと思われます。
それは般若心経の色即是空・空即是色の「空」とは「無」ではないとされますから、、『塵劫記』の「空」とはいささか違うように思われます。というのも、『塵劫記』の「空」は未だ「零」がなかったときの「零」の表わし方でもあったからです。
とはいえ、「空」の先に「清(10-22乗)」「浄(10-23乗)」などというのもあるそうですから、気の遠くなる話です。
いろいろな説があるのですね
うーん
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