(親類以外でお願いします)
私には「この人だ!」というような人が思い当たらない。
失礼にも忘れているかもしれないので、みなさんの回答をもとに思い出してみたいのです。
考え方次第では「会った人全員」と言えなくもないですが、今回は無しでお願いします。
友達ですね。
まだ出会って1年しか経っていない友達ですが、その友達が自分に一番影響をもたらしたかな?と思っています
何事も、私の悪いところも、全て受け止めてくれ、それも含めて私だということ、そんな自分も大事な存在だと言ってくれ、教えてくれた人です。
前の会社の社長と
今の会社の社長
私自身の能力を信頼しているということを
直接言葉でも、態度でも、私のいないところでほかの人にも
表現してくれます
のでそれに応えようと
がんばる原動力になります
ほめ上手なんでしょうね
でもただほめるのではなく
こちらの性格というか効果的な方法を把握して
プライドをくすぐるようなほめ加減です
小さい会社ならではかもしれませんね
でもほんとうに恩人と思っています
名前をあげて「この人だ!」というのは、私もないですね。
思考とか、社会性とか、そういったものを教わったのは、
やはり学校の先生でしょうか。
小学校、中学校、高校、予備校、大学などなど、自分が所属していた
学校にはそれぞれ個性的な先生がいらっしゃいました。授業で習った
ことよりも、雑談や学校生活の中でふれたことの中から、人としての
「何か」を教わったように思います。
ありきたりですみません。
1,友達。
その時々出会って時間を共有してくれた友人
2,職場の同僚
人生観を教えてもらいました
3,あるボランテァの人
180度ちがった見方を教えてもらいました
数は少なかったけど友達。
一緒に悪さしたり、喧嘩したりした友達が、素直に自分を出せていた気がする。そうすると友達もまた心を開いてくれるから、いろんな事を話し合えた。その結果、沢山の事を教えてもらった。
あとは、小説家さんたち(実際会ってはいないんだけど)。
太宰治。
ということで、3人程度です。
短い回答なのでポイント低くていいです。(なくてもいいや)。
一番は常に新しい事を求めていた中小企業の社長さんですかね。
初めての訪問の際に忘れてばっくれてしまって。。。
会社に電話があって、そっこーで謝りの電話いれて、
その後は一番のお客さんになりました。
カタギっぽくない人ではありますが、人間的なこととか、
人生論であるとか、いろいろなことを学ばせていただきました。
あとは個人宅に飛込営業して、後から大企業の会長、社長だと知った人たちですかね。
ホントにえらい人だと知らずに接したえらい人たちは自分の事を叱りながらも、とてもいろいろなことを学ばせてくれました。
偏ってしまいましたが主なものはこんなところです。
参考になれば良いのですが。。。
ライバルですね。
あるいは、あからさまにけなしたりみくびってくれた人。
わざわざ陰口を教えてくれた人。
私はもともと、平和主義者で博愛主義者で
他人にも自分にも甘くなりがち、
「将来は普通で平凡でいいじゃない」という考えだったので、
ここにたどりつくまで勝とうという気を
維持させてくれたのはライバルたちです。
「普通で平凡」になることにもそれなりの
努力がいるということに気づかせてくれました。
親も結構ひどいこといってましたけど、
それじゃ馴れ合っちゃっておしまいなんですよね。
やっぱり、ライバルが一番ですね。
親類以外でこの人だ!と言う人は私はいません。
でも中学校の時の担任の先生は自分のことを見て、客観的にしか分からない自分の癖や振る舞いを指摘して頂きました。(その時はイヤでしたが。)
おかげで自分はそういう部分があることを認識し、注意しながら生活を送ることができています。その先生には感謝しています。
シンプルに考えて親です。
過保護でもなく放任でもなく、ごく普通に愛情を注いで育ててくれました。それが良かったのか、あまり人様に迷惑をかけないでいられるような大人になったと思います。
もちろんあなたの言われるように、「会った人全員」というのが正解なのでしょうが、人格形成に大きな役割を負ったのは両親だと考えています。
大学の指導教官米田康彦先生。
ゼミの選択はジャンルで選んだのであって教官の個人的属性は全く考慮に入れていなかったのですが、ゼミに参加してから全く認識を改めることになりました。
相手の意見に対する、理解力、相手の意見の中核をぐっと掴み批判する建設的な議論姿勢、相手の心情にも配慮する包容力、そして学生の自主性を最大限伸ばそうとする我慢強さ。もう完璧です。
同じゼミ生と付き合っていたのですがなかなか結婚にたどり着けないでいたとき、(既に卒業していましたが)決定的なきっかけを与えてくれたのも彼でした。
縁の神ですので仲人もお願いしちゃいました。
しかしご恩を返す前になくなられてしまいました。
小学生の頃、放課後の教室
私は、Aと窓際でふざけあっていました。
その日、外食するから、早く帰って来なさいと
母に言われていましたが、Aといる時間が楽しくて
服をつかんだりして、じゃれていました。
その時、私のひじが花瓶にぶつかり、落ちて割れてしまいました。
先生を教室に呼んだのですが、そのときの担任の先生が
一方的に怒るかたで、しかも、怒り出したら、とまらない先生。
私は、早く家に帰らないといけない事も、言えず、黙っていると
『ぼくが花瓶を割ったので○○(私の名前)は帰してください、お願いします』
A君は私をかばってくれました。
それでも、先生は私を帰してくれず
再び説教を始めました。
『先生違います。ぼくだけを叱ってください』
とA君はさらに言い、私だけは帰ることが出来ました。
もう一人
小学生の頃、孤立していたクラスのある人に
優しくしたのをきっかけに、その人の成績が良くなった
ような気がしました。
次のテストが終わりその人に
「○○(私の名前)のおかげで、やる気が出てきたんだ
ありがとう○○」
と言われ、もの凄く嬉しくなり
コミュニケーションに関する考え方が確立しました。
小中高校とそれぞれの時代で最初に出来た友人でしょうか。それぞれきっかけは覚えていませんが、30歳に近くなった今でも付き合いがあり、気の許せる仲間達です。今に至るまでつらい時は何度も助けられており、今の自分を形作るには欠かせなかった人達です。
1.親→2.小学校の友達→3.一緒にロシアに行った仲間→4.今となってはそれなしでは考えられない趣味(?)の世界へ誘ってくれた人→5.それの向上に力を貸してくれた人→6.一緒に練習・競争してる仲間
時間を追って書くとこんな感じ。
すごく変な回答かもしれないですが、小学生時代に私をいじめてた人間です。
むろん感謝は全くしていませんし、いじめられてよかったとも全く思いません。
でもそれを契機に自分の性格を変えようと努力したり、違う環境に意向と努力して、今の自分がいます。
その人がいなければいまでも暗く陰気な性格の人間だったと思いますので。
コメント(3件)
精神的なものをお願いします。
私の場合は、高校の化学の先生かなぁ。
それで、今の進路をきめちゃったから。
何人か思い出したんですが、反面教師的な人が多いです。
思い出したら、がんばろうという気持ちが出てきました。
ありがとうございました。