注)ただし、有名な「サンタクロースっているんでしょうか?」という本に関しては除外させて下さい。
「サンタクロースはセント・ニコラスのこと。貧しい人や困っている人に必要なもの(プレゼント)をあげました。もちろん大昔の人で、今はもういません。
だけど、その精神は多くの人に受け継がれて、受け継がれた人の心の中にサンタクロースが存在するようになります。
その無数のサンタクロースのうちの一人がプレゼントを持って、毎年、あなたの所にやってきているのです。
で、時期が来て、あなたにその精神が受け継がれたとき、今度はあなたのばんです。
サンタクロースの存在を疑いはじめたあなたの心には、セントニコラスがもうやってきているのかもしれませんよ。」
私は、サンタクロース=豪華なプレゼントをもたらす便利な人
っていうふうに信じさせるのは、どうかなあって思う一人です。
「サンタクロースは信じる人のところにやってくる。」
大きくなると疑い始める子も増えます。
だからこそ、この言葉が大事です
今でも、私はこの言葉は信じていますし、なんとなく、心に焼きつくと思います
綺麗な言葉ですし、ロジックとしても「信じるからやってくる→プレゼントがあるという事は、自分は自覚が無くても実は信じている」と、強制的に導けはするのですが、信じる事が前提で、かつそこが結果として強制的に導かれる所、カルト宗教的に見えて少し怖いですね。頭に入り込めば確かに非常に強い言葉です。
「サンタクロースはセント・ニコラスのこと。貧しい人や困っている人に必要なもの(プレゼント)をあげました。もちろん大昔の人で、今はもういません。
だけど、その精神は多くの人に受け継がれて、受け継がれた人の心の中にサンタクロースが存在するようになります。
その無数のサンタクロースのうちの一人がプレゼントを持って、毎年、あなたの所にやってきているのです。
で、時期が来て、あなたにその精神が受け継がれたとき、今度はあなたのばんです。
サンタクロースの存在を疑いはじめたあなたの心には、セントニコラスがもうやってきているのかもしれませんよ。」
私は、サンタクロース=豪華なプレゼントをもたらす便利な人
っていうふうに信じさせるのは、どうかなあって思う一人です。
なるほど。この受け継いでいく精神というのは、夢が崩れ現実が見えたとき、現実として自分が次の夢を作るという事ですよね。一見夢の無い話のようでその実は、プレゼントを渡すと云う風習に従っている人全員で何世代にも渡ってサンタクロースという夢を実現しているみたいで、mayumattiさんが仰る様な、子供が考える「プレゼントをくれる人」以上の大きい夢があって良いですね。
「えっと、○○のことだからもう知ってるかもしれないけど、
グリーンランドに公認サンタクロースが住んでるのね。
クリスマスイブ以外は会おうと思ったら会えないこともないし、
手紙を出せば返事ももらえるわよ。
http://www.santaclaus.jp/index.html
え?それはサンタじゃないって?
難しいこというわね。
じゃあ逆に聞いてみたいんだけど、○○の言う「サンタクロース」ってどういう感じなの?
はあ、クリスマスにプレゼントくれるのがサンタ。
でも実際くれるのは父さんだから違うと。
それが○○のサンタなんだ。
ちょっと不思議なんだけど、じゃあプレゼントくれるのがサンタで、
父さんがプレゼントくれるんなら、どうして父さんがサンタじゃないの?
大体サンタが一人だなんて誰から聞いたの?
それともサンタは毎日ああいう格好していないといけないのかしら。
でもそういう格好をして「サンタだ」って言ってる人は実際いるわよ?
…ふふふ困ってるわね。
でもそれでいいと思うわよ。
実は一人一人の心の中にはそれぞれ違うサンタがいて、
それを信じるか信じないかはその人次第だと思ってるから。
信じない人もいれば、グリーンランドのサンタと手紙のやり取りをする人もいる。
だから○○が信じるサンタがいるならそのサンタを信じればいいし、
信じたくないなら信じたくなくてもいい。
ただ、私は信じられるような人であって欲しいと思ってるけどね。
さ、どうする?今年はサンタからプレゼントもらう?
お父さんからプレゼントもらう?」
こんな感じではどうでしょう。
会話としてみた場合、話の流れに隙が無いので確かに否定は出来ませんね。ただ逆に、考える隙が無い分反抗期の子供には釈然としない部分は残りやすい気がします。
サンタさんは実際にいます。
日本人ではグリーンランド国際サンタクロース協会より公認された”パラダイス山元”さんです。
1988年にアジア地域で初めてのサンタクロースとして認定されました。
質問の意図とは違いますが、確かにまぎれも無い事実ですね。納得せざるを得ない・・・。
私はサンタクロースを信じています。
まず親である自分が信じることが重要だと思います。そうすれば、おのずとロジック的なこともでてくるのでは。
サンタクロースは実際北欧に居をかまえていると聞いたことがありますし、最近ではイギリスにサンタクロース(に扮した)サンタがいるニュースを見ました。
発祥の地はトルコだと言われています。
サンタクロースについて、たくさんの歌や踊りなどが作られています。
サンタは子どものもとへやってくる不思議な人です。しかも眠った子どもが大好きな、風変わりでファンタジックな存在です。世界中の子どもにプレゼントを贈るといわれています。
親がこのサンタの役を代わりになってするということに、問題はないと思います。子どもへの愛をプレゼントに託す姿はサンタそのものといえます。ゆえに、サンタはいると考えます。
サンタクロースは子どものものなので、中学生くらいになると、存在を感じなくなるのでしょうね。親の想いとギャップが生じてくる頃でしょう。だからこそ、プレゼントを渡す親がサンタを信じてなければならないと思います。
あなたの質問文のトーンから、あなたはサンタクロースを信じてない、と読み取れます。ファンタジーを信じてない。。。そういう親がどんな屁理屈をもってしても、それは屁理屈にすぎないと思います。
結論としては、「サンタはいる。眠ってるあいだに来るから誰もみたことはないけど」で十分だと思います。
*実証主義の強い欧米でよくあるのはおいておいた食べものが減っていること、鍵が開いていること、靴のあとに気づかせる
*念のため黒サンタさん(トリビアの泉参照)への対処法もきかせておく(対抗しようと思うと余計ひどい目にあわされるので拘束され拉致されそうにならない限り薄目をあけ気づかないふりをする、立ち去った後なら動いてよい)
*親類から別途プレゼント予算をもらったとしても、どうせサンタの手下どもが人気のゲームは買い占めており売り場にはオトナ向けのしか残ってないので、子供を近寄らせない&長居しない。正月になればお年玉もあり、そのときにいっぱい並ばせて売り出す理由もあるため、今時点は非常に品薄になる。
サンタクロースは一人じゃ皆のところにプレゼントを運べないから、毎年25日だけパパがサンタクロースになるんだよ~
っていわれたことがあります。当時中学生でしたが、なんとなく納得してしまいました。
御本人が納得されたと仰るのですから疑いようは無いのですが・・・。総ての中学生時代を生きる子供が同じ様に納得するとはどうも考えられません。貴方は純粋な心の持ち主だったのですね。羨ましい。
実際にプレゼントを買ったり渡したりしているのは親かもしれないけれど、その親に「我が子にクリスマスプレゼントを贈ろう」と思わせ、行動させているのは実はサンタクロースである、あなたがサンタクロースはいるはずない、そんなことで親は動いていないと主張したところで他人の心は読めないので本当のところはわかんないでしょう、って言うかな。
我が家ではいったい何歳まで子どもにサンタクロースを信じさせることができるのか、親戚一同ひっくるめてかなり真剣に取り組んできた結果(親からは別途プレゼントを用意する・お店で見かけるような包装紙は使わない・プレゼントを買う姿を絶対に見せない・煙突がない家なので当日は窓の鍵を開けて寝る・サンタさんは親じゃないのと尋ねられたら真顔で否定等)、いま中学生だけどまだ半信半疑程度には信じてるような気がします。ちょっとアホです。
しかし今どきサンタクロース信じてる中学生はヤバいんじゃね?と思いなおし、「実はサンタさんなんていなくて毎年親が買ったプレゼントを枕元に置いてたんだよー」という一言を今年は言おうかなとも思ったのですが、自分からは夢を壊したくないので言いたくないのです。今までの十数年を自分からぶちこわしたくないというか。
でも子どものほうも「実はサンタさんなんていなくて親がプレゼント買ってただけだろ」という一言をどういうタイミングで切り出そうかと、案外お互いに探り合っている状態なのかもしれません。
というわけで今年の我が家はものすごい心理戦が展開されております。
質問で求めているのは「納得、信じさせる話」なのですが、不断の努力によってそれを省いて均衡を保っている姿には感服いたしました。それを知ってか知らいでか、言い出さないでいてくれるお子様がいらっしゃるというのは、さぞ楽しいクリスマスが送れるのでしょうね。羨ましいです・・・。
なるほど、私のでは子供だましになってしまう感じなのですね。
(うちはあれであと数年行くつもりです)
では・・・
http://coolsummer.typepad.com/kotori/2006/12/post_6.html(いきなり音が出ますので、お子さんのいない時間にまず一人で押してみるようご注意ください)
説得ということではこれに勝るものがないかもしれないです。
ずばり正道です。
かなり熱い語りですね。コレを目の前で言い切られたら否定のしようがございません。
よく論理学で例に出される話なのですが、「カラスは黒い」という定理を立てた時、1羽でも白いカラスがいればその定理は否定されます。同じように「サンタはいない」という定理をを立てた時、一人でもサンタがいればその定理は否定されます。過去・現在・未来・東・西・南・北…全てに渡ってサンタがいないということをどうやって調べればいいのでしょう?現在の地球上にはいなくても、未来には現れるかもしれません。たまたま自分は本当のサンタを知らないだけかもしれません。
この例ですが、実際のところ白いカラスは存在しているそうです。ですから「カラスは黒い」という定理は崩れました。「○○はいない」と証明することは「○○はいる」と証明することよりよっぽど難しいということ、また、自分の見聞きしたことだけからは真実は導き出せないということを子どもに教えてあげます。
余談ですが、私は12歳までサンタクロースの存在を(単純に)信じていました。母に「サンタはいないんじゃない」と尋ねると「なぜそれが分かるの?」と驚かれました。サンタはいないと発覚した時も(酔っ払った父が暴露したせいです)、母は「サンタさんに憧れていたから真似してたの」と言い訳していました。周りの大人が信じることが1番効果があると思います。
いわゆる悪魔の証明による可能性の示唆では理由は提示出来ないので反抗期の子供へのアプローチとしては五分五分な気がしますね。
既出のグリーンランド公認サンタクロースのパラダイス山元さんは以下のようなQ&Aを公開しています。
《サンタクロースは、いるのか?いないのか?》
サンタクロースはいた方がいいと思いますか。それとも、
サンタクロースなんてこの世にいない方がいいと思いますか。
これが全てだと思います。
個人的には、子供に対してはサンタさんはDSやPS3を買ってきてくれる人ではない、というスタンスで接してきました(現在中学生です)
そうしたプレゼントは我々両親からプレゼントしますが、それとは別にサンタクロースからのプレゼントを用意しています。
段階的に実際はサンタ=両親であることを気づいていった我が子でしたが、そのかいあってか正体暴きのようなことは口にしたことはありません。
今は「自分が誰かにとってのサンタクロースでいられるように」と、話して聞かせたりしているところです。
確かに貰って喜んでる側としては否定出来そうにないですね。
私は小学生のとき親から「サンタクロースはいない」といわれました。悲しかったです。しかし中学生くらいになると流石に周りの環境からも信じることは難しくなっていたと思いますから今はそれは間違いではなかったのかもしれないと思います。
サンタクロースの実在については流石に信じさせることは難しいと思います。ですからここはひとつ一旦そのサンタクロースの実在を否定した上で「だけどサンタクロースはいる。確実にいる。それがどういうことかわかるか?」と問います。サンタクロースを概念的なものに推移させるのです。そしてその意味と真意を考えさせます。クリスマスの意味、プレゼントの意味、煙突から入ってくるという意味、いい子にしていればという意味、全てを考えさせます。そこには哲学が生まれます。そうすればその子自身の中に何らかの概念としてのサンタクロースが形成されます。その子自身の中で形成されたものは当然その子は信じますし納得します。
なんだか宗教チックですが結局サンタクロースを否定される恐れなく信じさせるにはこういう思考しかない気がします。
その、考えることによって組み立てられる論法を第三者が導く時の具体的な話、内容を聞いてみたかったのですが、bd-2さんのひたすら「居る」という事だけを固持して、他は考えさせると云う方法も内容として良いかもしれませんね。
○中学生ぐらいまでなら
まだまだサンタさんの存在を信じさせることが可能だと思いますよ。
寝床の枕もとにそっとプレゼントを置き
翌日親がしらんぷりできるのも中学生なら半信半疑かも知れませんが許される範疇でしょう。
あくまでも親がしらんぷりをすることですし、それが親の役目だと思います。
なるほど。この受け継いでいく精神というのは、夢が崩れ現実が見えたとき、現実として自分が次の夢を作るという事ですよね。一見夢の無い話のようでその実は、プレゼントを渡すと云う風習に従っている人全員で何世代にも渡ってサンタクロースという夢を実現しているみたいで、mayumattiさんが仰る様な、子供が考える「プレゼントをくれる人」以上の大きい夢があって良いですね。