ドイツ写真の現在 かわりゆく「現実」と向かいあうため
に
とあるブログにて拝見したんですが(当該記事はプライベートモードになっていました)、印象的なエピソードがそこに記されていて、自分の身の回りにおこったことではないのに、何故か深く印象に残りました。
この展覧会に出品されていたLORETTA LUX氏の作品を見たその方のお子さんが、とても気味悪がったので、その子のお父さんである書き手の方が「これは死んだ子供のポートレートなんだ、天国に行ってもお父さんお母さんが悲しまないように撮られた写真なんだ。でも、この子たちは死んじゃってるから、やっぱり生きている子とはどこか少し違う。だから、おまえもこういう写真にはならないでくれ。知らない人についていったり、危ないところで遊んじゃダメだよ」というようなことをおっしゃったところ、そのお子さんは突然泣き出してしまったそうです。
当該記事が読めなくなってしまったため、あやふやに書いてしまいましたが、記事自体はとても流れるような、温かみのある文章でした。
私自体は展覧会の前からLORETTA LUXに非常に興味を持って観に行き、それなりに満足を得て帰ってきたのですが、後日このブログを見つけたに至り、目から鱗が落ちるような感覚に陥ったのです。自分が心酔している作家に関することだったということもありますが、私が観覧している目の前で起きた光景ならいざ知らず、ブログというメディアを介してここまで印象に残った展覧会は初めてです。
奈良さん、いいですね。
去年、AtoZで青森弘前まで見に行ってきました。
『作家からの贈りもの展』
http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/presents/presents.htm
私がみたのは違う美術館だったのですが・・・。
いろいろなところでやっていたので、たぶん同じ展覧会だと思います。
仕事やライフワークとして「作品」を作るのとはちがう作家の一面が見られた気がして、楽しめました。
あと、最もではないですが、森美術館の現代美術系の展覧会や、大丸ミュージアムで毎年やってる生け花の展覧会は毎回見にいきます。
ありがとうございます。
家族や子供のための作品、という切り口、
見ると心温まりそうですね。
森美はある程度のレベルが担保されていて、いいですよね。
生け花、よさそうですね。今度行ってみます!
ふむふむ。ダリもいいですよね。
ありがとうございます。
『オードリー・ヘップバーン展』
Bunkamura ザ・ミュージアム
http://www.museum.or.jp/announce/20040522/
子供の頃から母の影響を受けて憧れていたせいでしょうか。
綺麗な女優さんだけで終わらなかった彼女の人生を物語る遺品を見て、
自分のことだけで手一杯の自分を反省するきっかけになりました。
Bunkamuraでやっていたの、覚えています。
個々人の記憶と結びついたとき、
より一層アートは人の心に残るのですね。
高尚な美術系展覧会は私も好きです。
その一方で、科学系展覧会も好きなので行って見ました。
少し前から何度か全国行脚しているこれです。
人体の不思議展
http://www.jintai.co.jp/explain.html
昔々大昔に有った、こんな感じの不気味な展覧会とは全く異なります。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A1%9B%E7%94%9F%E5%B1%95%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%AC%B2%E6%9C%9B-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E8%81%A1/dp/4787230832
こんな技術を使って本物の人体をプラスチック模型にしています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
プラスティネーション(Plastination)とは、解剖学において使われる、献体された人間や動物の遺体、または遺体の一部(内臓など)を保存し、標本とするために用いられる技術の1つである。近年では同技術をプラストミック(Plastomic)と呼称する別の団体も現れた。
身体を構成している水分と脂肪分をプラスチックなどの合成樹脂に置き換え、顕微鏡レベルでの細胞組織の構成を殆ど保ったまま、素手で触れることができ、腐敗を起こしたり悪臭を発生させたりすることもない、人体や動物の標本を作り出すことができる。
パッと見は鳥肌が立つようなゾッとした感じがしました。
でも、展覧会の趣旨に
人体標本といえば医学、特に解剖学という専門分野でしか知り得なかった世界を一般に公開し、人体標本を通じて「人間とは」「命とは」「からだとは」「健康とは」を来場者に理解、実感していただき、またその人体標本が「あなた自身である」ことの共感を得ることです。
とある通り、見ているうちにグロという感じがしなくなってきます。
人体の神秘を感じて実に良かったと思います。
いい観点ですね。確かに「展覧会」と
いったとき、美術系だけだ、と思いきや、
科学系も十分、人の心の印象に残るわけです。
私自身も、国際フォーラムにて、
人体の不思議は見に行きました。
脳の重さでしたっけ、があったのが
すごく印象に残っています。
台湾の故宮博物院が良かったです。
象牙多層球を見に行ったのですが、本物はやはり驚嘆に値するもので
素晴らしかったです。
故宮ですね。
私も北京にて行きましたが、やはり台湾に
持ち去られただけはあり・・・でした。
生きているうちに、一度台湾の故宮には
行かねばいけないと思っています。
象牙多層球、見に行きます。
あれも、良かったですねー。
最後の部屋が照明を落としていて、畳の上に
展示をしていたのがよかったです。
本来ある姿で展示されるのが綺麗ですね。
hatenaでオフィシャルblogもありましたよね。
行った展覧会自体少ないのですが。。。
假屋崎省吾さんの花の展覧会です。
今までただのオカマさんと思っていた分、生けた花の力強さに圧倒されました。。。
ありがとうございます。
行った展覧会が少なくとも、心に残るものが
あって、それで少しでも考え方やものの見方が
変われば、変えられればいいんではないんでしょうか。
ここはなぜ展覧会にいくのか、という議論と
つながっていきそうですが・・・
と余談はさておき、假屋崎さん、
見に行ったことがありません。
2番目に回答してくださったid:nreiseさん
にもありましたが、生け花の展覧会は
心に残るもののようですね。
この方の絵、どこかで、見たことあります。
ありがとうございます。
「考えさせる展覧会」って重要かも
と思っています。
なにかをフックとして、残す、というか。
ありがとうございます。
http://www1.hpam-unet.ocn.ne.jp/exhibition/Foujita.html
藤田嗣治展
素晴らしかった。久々の美術の感動でした。
東京国立近代美術館 2006年3月28日(火)~5月21日(日)
京都国立近代美術館 2006年5月30日(火)~7月23日(日)
※ 当館が最終会場です
とのことだった。よくもまあ、広島にまで来てくれて嬉しかったです。期間中に二度ほど時間を無理やり作って行きました。
これ見にいけなかったんですよ・・・
絵で人を感動させることって、やっぱり
できるんですよね。
既出ですが『人体の不思議展』は、
知識のない私でも大変面白いと思ったので、
誰が行っても楽しめたと思います。
あと、『さくらももこワールド~20年の軌跡展』がとても
面白かったです。こんな絵も描けるのかと思いました。
子供だけでなく、大人も十分に楽しめるものでした。
人体とまるこですね。
ももこさん、エッセイとか意外と面白い
ですが、それ以外の絵の違う側面、
僕も見に行きたかったです。
ロシア・アヴァンギャルド展@東京都庭園美術館(2000年)
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/past/j_ex_h12.html
今見ても古めかしくないどころか、あまりにも先鋭的な表現に足が震えました。
ロシアアヴァンギャルド。
東大博物館でも展示があった気が。
ポスターとかの深みってほんと
あるんですよね。
2004年の田中一村展です。
当時の感想はこちらhttp://d.hatena.ne.jp/yukodokidoki/20040119
次点として80年代後半今はなき秋葉原のミナミ美術館で見たダリの宝飾品を集めた「ダリ愛の宝飾展」、面構えシリーズを初めて集めて見せてくれた90年代前半の片岡珠子展も蛇足ですが挙げておきます。
田村一村、知りませんでした。
良さそうですね。
そし次点の展覧会も知らないので
調べてみます。ありがとうございます。
2005年の夏に開催されていた「ベルナール・ビュッフェ展」
風景画がすばらしく、中でも「ニューヨーク」は傑作だと思います。
ビュッフェの黒は単純で力強くしかも個性的で、あんなに美しく黒を使える人はそういないと思います。
同じく2005年の10月に練馬美術館で観た「佐伯祐三展」もすばらしかった。佐伯祐三の絵はいわば「格闘」で、物言わぬ画面からみなぎってくるものに圧倒されました。
2003年8月に石川県立美術館でみたジャン・フランソワ・ミレーの「畑からの帰り」正直言ってこれほど胸を打たれるミレーの絵はなく、落穂ひろいや晩鐘などよりはるかにすばらしいと思いました。
狩野芳崖もすばらしい。芳崖の絵は、狩野派のひとつの到達点という気がします。明治の画家ではなく、江戸の最後の絵師ではないでしょうか。急速に失われていく江戸文化を代表する存在でありながら、自身は長州人であるという矛盾同様、絵も日本画と西洋画がせめぎあっているようで、私は非常に好きです。特に竜の絵は、芳崖以外誰にもかけないと思います。
ほかには、速水御舟、円山四条派、デビッド・ホックニー、スーパーリアリズム、ムンク。
キリがありませんが、ビュッフェと佐伯祐三は、やはり哀惜の思いも込めて、忘れがたいです。
絵から出てくるオーラ。人によって
受け取り方が全く違うものです。
でも、それがこうやって人にも伝わるように
言語化できていること、って
結構簡単なようで難しいんですよね。
ビュッフェと佐伯祐三、調べてみます。
ありがとうございます。
ドイツ写真の現在 かわりゆく「現実」と向かいあうため
に
とあるブログにて拝見したんですが(当該記事はプライベートモードになっていました)、印象的なエピソードがそこに記されていて、自分の身の回りにおこったことではないのに、何故か深く印象に残りました。
この展覧会に出品されていたLORETTA LUX氏の作品を見たその方のお子さんが、とても気味悪がったので、その子のお父さんである書き手の方が「これは死んだ子供のポートレートなんだ、天国に行ってもお父さんお母さんが悲しまないように撮られた写真なんだ。でも、この子たちは死んじゃってるから、やっぱり生きている子とはどこか少し違う。だから、おまえもこういう写真にはならないでくれ。知らない人についていったり、危ないところで遊んじゃダメだよ」というようなことをおっしゃったところ、そのお子さんは突然泣き出してしまったそうです。
当該記事が読めなくなってしまったため、あやふやに書いてしまいましたが、記事自体はとても流れるような、温かみのある文章でした。
私自体は展覧会の前からLORETTA LUXに非常に興味を持って観に行き、それなりに満足を得て帰ってきたのですが、後日このブログを見つけたに至り、目から鱗が落ちるような感覚に陥ったのです。自分が心酔している作家に関することだったということもありますが、私が観覧している目の前で起きた光景ならいざ知らず、ブログというメディアを介してここまで印象に残った展覧会は初めてです。
LORETTA LUX、初めて知りました。
この作家、切り取ろうとしている瞬間は
ロンミュエクやパトリシアピッチニーニと
同じようなものなのではないでしょうか。
いいですね。好きです。
そしてエピソードも心に残りました。
>>ブログというメディアを介して
こうやって、皆様に展覧会の良さを聞いて、
それがしっかりと返ってくる、
しかも、皆様言語化できていたり
できていなかったりする部分も多いのだけど、
それぞれの観点で展覧会の良さを
語ってくれる。
インターネットのすごさを感じます。
良かったと思えるものはクサマトリクスとかアジア美術トリエンナーレとかいろいろですが、
人生で一番強烈だったのは
中学2年か3年のときに近所の百貨店でやってた
ダリ(彫刻と素描のみ)とガウディ(家の柵とかの造形)の展覧会です。
人生が変わりました。
そう。
そういうので、人生が変わるんですよね。
自分自身もキャサリーナフリッツ、という
方の展覧会をみて、人生観が変わりました。
人体の不思議展
当時、解剖生理学を学んでいたので、たいへん参考になりました。
ただ、まったく不勉強な方が行ってもよく分からないと思いました。
展示の臓器は乾燥していて実際の臓器よりも小さいのが残念でした。
そのほかにも"いろいろ"と裏話はあるそうです
人体の不思議は、皆さんあげられているのを
見ると、基本的な、根本的な私たちの
五感を刺激するような展覧会なんでしょう。
自分自身も見に行って、輪切りになった
体をみて、なにやら不思議な違和感を
覚えたものです。
LORETTA LUX、初めて知りました。
この作家、切り取ろうとしている瞬間は
ロンミュエクやパトリシアピッチニーニと
同じようなものなのではないでしょうか。
いいですね。好きです。
そしてエピソードも心に残りました。
>>ブログというメディアを介して
こうやって、皆様に展覧会の良さを聞いて、
それがしっかりと返ってくる、
しかも、皆様言語化できていたり
できていなかったりする部分も多いのだけど、
それぞれの観点で展覧会の良さを
語ってくれる。
インターネットのすごさを感じます。