読書の話題になると「村上春樹なら読んだことあるよ」と言い出す人によく出くわしますが、
村上春樹の良さがわからないのでうまくリアクションできません。
気の利いたことも言えないので「でてくる料理が旨そうだよね」とか言ってごまかします。
私はアンチではないです。最低5冊は読んでいると思います。
ですが、ノーベル文学賞に近いと言われているのに、
ほかの有名作家の本を読んだときのように「さすが!」と思うことがありません。
ほのぼの、というか、(申し上げにくいですが)悪く言うと淡々、スカスカ、という印象です。
リアルで「感性がないやつだ」と言われるのが恥ずかしいのでこちらで質問します。
お願いです、村上春樹の良さを語ってくれませんか?
私はどちらかといえば村上春樹アンチ派ですが…
主人公が女性に優しいようでいて、主人公がモテすぎ、都合よく展開がすすむところや、被害者意識ばかりが強く自分が加害者になったときの罪に対する認識の甘さなど(「ねじまき鳥クロニクル」のラストなど)かなり気になります。正直言って「スカスカ」だという感想を私も抱いていますが…それでもスゴイ作家です。
しかしわけあって数年前、全作品読み返す機会がありました。
そこで(非常に平凡なのですが)、以下、気づいたことです。
1)特に短編が優れている。長編作品は書き上げた短編から引き伸ばしたものが多い。(あなたが学生時代に呼んだホタルを放つ短編は、大ヒット作「ノルウェイ」の前身になったものです。)
2)特に初期の三部作と「羊をめぐる冒険」、「世界の終りと…」が優れている。初期は高橋源一郎と非常によく似ている。
3)た宗教とか歴史とか政治とか…そうした重いテーマに読者がまったく関心がなくとも、自分の生活の延長からすっと入れる。思春期から30代モラトリアムの主人公は特殊な履歴や過去のない、代替可能な「僕」である。
4)女性が働いている家庭、子どものいない夫婦、パスタを茹でる男性、音楽を聴く生活…描かれているのは戦後の経済成長後の先進国共通のライフスタイルであり、その中で男性(と女性)がモラトリアムをどう克服し、自分を知ってゆくか、いうが主なテーマとなっている。国境を越えるテーマをみごとにとらえている!
!(これまでこんな作家はいなかった!)(経済成長する中国の若者があらそって読んでいるというのはよくわかる!)
5)「ねじまき鳥クロニクル」以降、積極的に「ノーベル賞」をとりに行っている…(ノモンハンなど歴史エピをとりいれたり、それまで「売り」であった一人称を一度やめてみたり、隠された野心やマラソンで培った体力がものすごい)
…女性読者が多いのは、村上春樹の持つ主人公の「男らしさ」があまり暑苦しくないことでせう。地縁・血縁に縛られず、女性とも表面上対等につきあい、よくコミュニケーションをとるからではないでしょうか。
nhateさんがおいくつかわからないですが、
個人的に、村上春樹の小説は思春期のモヤモヤウラウラした時期に読むものだと思います。
思春期を脱したのか最近の作品を読んでも楽しめませんでした。
淡々、スカスカの表現がかえって個人の思い出なんかと結びついて読む側に都合の良いように解釈させるということもあります。
押しつけがましくないという感じです。
私は反対にこのスカスカ感というか透明感が好きです。
ちなみに、表現方法が全然違う町田康とかも好んで読んでます。
回答ありがとうございます。
たしかに、思春期に読んだ、鳥だかホタルだかを屋上から放つ短編は良かったなーと今でも思い出します。
短編を読んだ記憶が自分の思春期と絡まって思い出してしまいます。今、30代です。
「透明感」、キーワードですね。
26歳・女性です。
わたしも村上春樹は学生時代にはまりました。
出てくるお料理が美味しそうなのも魅力のひとつですよね。
女性の友達で村上春樹のよさを語り合ったところ、
アンバランスな女性からもちゃんと魅力を見出してくれる視点が
自分に自信を与えてくれるからいいねと言うところに落ち着きました。
男性の友達の場合は、
華麗な文章とそのなかに隠されたジョークがいいといっていました。
ぱっと見にはまじめなことを書いてあるんだけど
よく見ると、ああ!ジョークだこれ!という発見の喜びとでも言いましょうか。
どちらにしても、読者に花を持たせてくれる文体が彼の魅力なんだと思います。
友達とのお話、とても参考になります。
>アンバランスな女性
>隠されたジョーク
ここらへんもキーワードですね。
アンバランスといえば、TVで「ママ帰ってきて~」と叫んだという女の子のエピソードの意味がわからなくて心に引っかかってるのを今思い出しました。
nhateさんの意見も、至極まっとうだと思います。
入り込める人には、すばらしい作品だと思いますし、入り込めない人にはどこが面白いのだろうかと思う作品でしょう。
私は、最初は村上春樹の頃の作品を読んで、読みやすくて割と面白いぐらいの評価でした。そして「ノルウェイの森」が出版されたときにも読みましたが、恋愛物に興味のない時期であったためもあり、あまり面白くありませんでした。
しかし、皆が「ノルウェイの森」は面白いという時期に来て、(何年も経っていましたが)、再度読んで見ると、今度はその物語の中に入り込むことが出来てすばらしいと感じました。
例えて言うなら、落ち着いた綺麗な音楽を目をつぶって聞きながら、好きな情景を思い浮かべているような感じ、そんな感じでした。読むというより、感じる、というものでした。
多分、その時期その時の感情・感性にぴったりとはまったのだと思います。
今、再度読み返して、同じような感じを受けるかと聞かれたら、違うと思うと答えます。今の自分で、読んでしまうからです。私は、作品から受けたイメージを変えたくないので、多分、もう一度は読まないと思います。
ありがとうございます。
「好きな情景を思い浮かべているような感じ」
昔、ノルウェイの森を読んでなんとなく同じようなことを少しだけ感じたのを思い出しました。
sainokamiさんもおっしゃってるように読み手の自由度が高いことが魅力のひとつでしょうかね。
どんな人でもさくさく読めるのは、そのように気を配って文章を組み立てているからです。
具体的にはなるべく口語的な表現を使い、文のリズム感を大事にしているようです。
文のリズムを作るために、短文を繋げて叙述したり、短文と長文を組み合わせたりと、普通の人には判らないような所で、かなり工夫しています。
そこまで気を配るのが、超一流の技と言うものでしょう。
もちろん内容も伴なっていなければなりませんが。
他には判り易い表現の中に、隠喩といいますか、表面的な意味の下に二重の意味を持たせて表現している事も、かなり優れた技術と言えましょう。
隠喩によって普通に読んで読み過ごした文も、後から読み返すと、別の意味を見出せる仕組みになっております。
そのような所も所謂、玄人好みのする作家と言う感じで、世界的な評価が高いのでしょう。
はっきりいって文章を読み解く力がかなり必要な、読者を選ぶ作家です。
本を楽しむためには、あまり技術的な事は気にするべきではありませんが、人と語り合う時には言及しても良いと思われます。
回答ありがとうございます。
私もまだまだなのかもしれません。
おっしゃるように世界的な評価が高いということは、海外の翻訳出版では日本語のリズムを翻訳で壊さないようにかなりな配慮しているのでしょうかね。
翻訳者を調べて面白いことが見つけられたら、通っぽい話題にできますね。
文学に限らず、表現(音楽、絵、その他)に対する好みは人それぞれの感性だと思いますが、村上春樹氏の作品は、小説、コラム、ノンフィクション全般に渡って「言葉のひとつひとつを平易にした上で、全体を俯瞰した時、独特な世界観を、読者に押し付けることなく主張する」という点が、すごいと思っています。
例えば、あるジャンルについて詳しくないと読めなかったり、ある種のイデオロギーが正しい・間違っている、という前提でないと理解できないようなものを極力避け、不特定多数の読者が読めるようにするための文章を書くために、技術を駆使していると感じています。
その上で、作った世界観を「すばらしい」と感じる人が多いことが評価されていると思います。
ミュージシャンや画家がしっかりした基礎の上で、奇抜な表現を使わずに作り出した音楽や絵のように感じます。
なので、質問者さんが「スカスカ」と感じられるのはそれはそれで別に問題ないと思います。
ちなみにフィッツジェラルド等の翻訳ものを読むと、全然翻訳のような感じがしないです。作業としての翻訳でなく、村上氏自身が読んで感じたことを村上版に直しているような感じです。小説の舞台となる時代や場所が現代の日本だったら村上春樹氏の作品だと思ってしまうかもしれません。
ありがとうございます。
「独特な世界観を、読者に押し付けることなく主張する」ですね。
以下余談ですが、
私もフィッツジェラルドが良いと村上さんが書いてるのを読んで野崎訳で読んだ一人です。
そして村上訳も何冊か読みましたが、村上ワールド全開でびっくりしました。
「翻訳としてこれ、アリなのかな?」と気になりました。
自然とああいう文体になるのならそれはそれでいい(仕方ない)のかもしれませんが
mododemonandatoさんの仰るように工夫して村上調に仕上げているのでしたら
色々と思惑が絡んでのことかと深読みしてしまいますが。
私は「羊をめぐる冒険」から読み漁り「ノルウェイの森」以降全く読まなくなりました。たぶん私の性格はアンチ村上春樹に多いタイプだと思います。私は文学を鑑賞するというより食欲に応じて読み漁り消化するだけの人間なのですが、以下、私の素直な感想を述べます。
「ノルウェイの森」で一時アンチになったのは、(私から見ると)あまりにも主人公にとって都合良く話が進み、終わった為です。私は永沢さん以外の登場人物の全てに共感する部分がありました。恐らく世の中の人のほとんどがそうなんじゃないかと思いました。また、そのように作られているのかなと思いました。どの登場人物も愚かな所があり、それが読み手と重なるようになっており、唯一表面的には人間的でない永沢さんの最後の方の「自分に同情するな。」という言葉が教訓の様に際立って見えました。私はその言葉が非常に胸に響き、それを教訓にした事をきっかけに当時引きこもりがちだった状態を脱しました。
私は村上氏は人間の弱さとか精神的な脆さを描く事が多いと思うのですが「ノルウェイの森」では、そういった弱さが無く軸がブレない(表面上は)永沢さんを描く事で、他の人物と対比させているように感じたました。そこから何をどのように読み取って欲しいと思って書いているのだろうかと思った時に、もしそのような意図的な作り方をされているのであれば村上春樹という作家は凄い、と思いました。
うまくまとめられず申し訳無いのですが、sainokamiさんの仰る「個人の思い出なんかと結びついて読む側に都合の良いように解釈させる」という点が私の考えでは、都合の良いようにというのは省かれますが、私が村上氏に対して凄いと思った点であり、多くの読者に支持される理由なのだと思います。
また、私には鑑賞眼が無いのですが、恐らく文章のリズムなどにも素晴らしい魅力があるのだと思います。
ありがとうございます。永沢さんがカギだったのですね。
物語を忘れかけてるのでもう一度読み返してみたくなりました。
村上さんは初期の作品で「書くことはモノサシをあてることだ」みたいなことを語ってたと思いますが、
この作家さんはやたらと人の傷口にモノサシを差し込むひとだなぁと感じていました。
今度は永沢さんとの対比に注意して読み直してみたいです。
私はどちらかといえば村上春樹アンチ派ですが…
主人公が女性に優しいようでいて、主人公がモテすぎ、都合よく展開がすすむところや、被害者意識ばかりが強く自分が加害者になったときの罪に対する認識の甘さなど(「ねじまき鳥クロニクル」のラストなど)かなり気になります。正直言って「スカスカ」だという感想を私も抱いていますが…それでもスゴイ作家です。
しかしわけあって数年前、全作品読み返す機会がありました。
そこで(非常に平凡なのですが)、以下、気づいたことです。
1)特に短編が優れている。長編作品は書き上げた短編から引き伸ばしたものが多い。(あなたが学生時代に呼んだホタルを放つ短編は、大ヒット作「ノルウェイ」の前身になったものです。)
2)特に初期の三部作と「羊をめぐる冒険」、「世界の終りと…」が優れている。初期は高橋源一郎と非常によく似ている。
3)た宗教とか歴史とか政治とか…そうした重いテーマに読者がまったく関心がなくとも、自分の生活の延長からすっと入れる。思春期から30代モラトリアムの主人公は特殊な履歴や過去のない、代替可能な「僕」である。
4)女性が働いている家庭、子どものいない夫婦、パスタを茹でる男性、音楽を聴く生活…描かれているのは戦後の経済成長後の先進国共通のライフスタイルであり、その中で男性(と女性)がモラトリアムをどう克服し、自分を知ってゆくか、いうが主なテーマとなっている。国境を越えるテーマをみごとにとらえている!
!(これまでこんな作家はいなかった!)(経済成長する中国の若者があらそって読んでいるというのはよくわかる!)
5)「ねじまき鳥クロニクル」以降、積極的に「ノーベル賞」をとりに行っている…(ノモンハンなど歴史エピをとりいれたり、それまで「売り」であった一人称を一度やめてみたり、隠された野心やマラソンで培った体力がものすごい)
…女性読者が多いのは、村上春樹の持つ主人公の「男らしさ」があまり暑苦しくないことでせう。地縁・血縁に縛られず、女性とも表面上対等につきあい、よくコミュニケーションをとるからではないでしょうか。
一言一言に納得しながら拝見しました。できればもう少し語っていただきたい!
ノーベル賞ほにゃほにゃというのは4)のテーマが大きいのですね、ようやく納得です。
取替え可能な「僕」と透明感のある文章と受身の主人公の三点セット、こうかはばつぐんですね。
短編は文句なしですよね。
>女性とも表面上対等につきあい
「表面上」というのが気になるところです。
>「男らしさ」があまり暑苦しくない
あめりかーんな会話なのになんとなく受け身だからでしょうかね?
21歳男です。村上春樹、好きです。どこが好きなのかといいますと、乱暴な言い方ですが、「わかってくれてる」感があるからです。私は、村上春樹のいいところを友達に聞かれると「なんかわからないんだけど、なんかいい」と答えてしまいます。答えになっていないかもしれないので、言い換えてみると、「うまく自分で言語化できない意識が、言語化されてそこにある、」という感じでしょうか。そこにたまらなく惹かれてしまうのです。
>ほのぼの、というか、(申し上げにくいですが)悪く言うと淡々、スカスカ、という印象です。
淡々とシンプルは違うかもしれませんが、淡々とした表現、シンプルな言葉で結果としてシンプルではない現実を書いている、と思うのですが。どうでしょう。
あとは、「やれやれ」に注目してみるのもおもしろいのではないでしょうか。
長編、短編もほぼ読みました。10代後半から20代前半のころです。ご多分にもれず、
ノルウェイの森から入りこみました。
村上春樹のよいところは、読みやすい文章で物語としても面白く比喩表現が
スゴク面白いところですね。僕は、スプートニクの恋人で書き出しから1ページまるまる
比喩の文章なんですが、その時点で買ってよかったと思うほど好きな表現でした。
作品自体はあまりなじめませんでしたが。
登場人物の普通でありながら、どこか脆くて病んでいるようなキャラクターも
共感を持ちながら読めるところではないかと思います。激情を包み隠した、淡々とした文章
とでも言うような作風が特に読後感に良さを感じます。
物語としてもよく作りこまれてると思います。
読書にそんなに難しいことを求めなくてもいいんじゃないでしょうか?
私も村上春樹の作品は好きでほとんど読んでいますがそんな気の利いたことが言えません。
読んで面白かったやいろいろ考えさせられたとかでいいんじゃないでしょうか?
私が彼の作品をなんで好んで読んでるのか?と聞かれれば答えに困りますが
彼の文体の読みやすさと現実的であるけど非現実的なストーリーにあるのかもしれないです。
このままずっとうやむやにするのもアレだし、いい機会なので
きちんと意見を聞きたいという趣旨で質問しました。
nhate さん、はじめまして。
所謂「ハルキスト」ではありませんが初期の頃から愛読している自分も読み始めた頃のことを思い出してみました。
全くご参考にならないかもしれませんが、端的に。
1) ビールが美味そう。
2) 軽めのこじゃれたた比喩 (きゅうりのようにクール,等)
3) 「あちら側」と「こちら側」の描き方(「世界の終わりとハードボイルド・・・」他に顕著)
これらがあいまって、気づいたときにはのめっていた感じでしょうか。
特別なファンではありませんが個人的には初期の中短編などが好みです。
最近、小説が出版されていませんが直近の「東京奇譚集」に収められている「品川猿」も「あちら側」と「こちら側」がユーモラスに描かれていると思います。
一言一言に納得しながら拝見しました。できればもう少し語っていただきたい!
ノーベル賞ほにゃほにゃというのは4)のテーマが大きいのですね、ようやく納得です。
取替え可能な「僕」と透明感のある文章と受身の主人公の三点セット、こうかはばつぐんですね。
短編は文句なしですよね。
>女性とも表面上対等につきあい
「表面上」というのが気になるところです。
>「男らしさ」があまり暑苦しくない
あめりかーんな会話なのになんとなく受け身だからでしょうかね?