素朴な疑問ですが、現在の日本の仏教では、釈尊以外に、「複数の如来」、「菩薩」、「天」などが存在し、信仰の対象となっているように思いますが、原始の仏教から考えると大きくかけ離れていると思います。
これは、ヒンドゥー教のように、教えが広まるにつれて土着の神々を習合していたた結果なのでしょうか?だとしたら、いつごろどのような形で変化していったのでしょうか?
大乗仏教 (の前身?) が生まれ、ヒンドゥーの神々を天として迎えて、チベット経由で密教系の神々を吸収し、中国→朝鮮→日本とたどり着いたのでしょうか?
その時代と、場所、その理由 (これは明白かも?) が知りたいです。
宜しくお願いします。
※私は仏教に詳しくないので、表現や用語に誤りがあるかもしれませんが、ご容赦下さい。わかりやすくご指摘いただけたら幸いです。
既に習合という言葉を使われているので聞き覚えのある言葉かとも思いますが、
日本における神と仏の習合の歴史については神仏習合というキーワードから探るとわかりやすいのではないかと思います。
↑のリンク先にもあるように、土着の神祇信仰と仏教信仰が再構成されることを指します。
仏教の伝来当初は仏教信仰自体がきちんと理解されていなかったため、
仏を神と同じものとして認識していたと考えられています。
これが「神」と「仏」は違うものという認識が広まるにつれ、日本の神々が仏教帰依したいと託宣したとして神→仏というルートで祭られるようになり、その社として神宮寺が建立されるようになったと言われています。
これは大乗仏教を取り入れたい豪族と、一般の人々の信仰とのいい妥協点であったのではないかと思います。
こうして神仏混淆状態からさらに仏教信仰が浸透してくると、宗派が生まれ、その教義によって神と仏の双方側からの浸透が起きるようになり、
本地垂迹説
絶対的存在としての仏や菩薩と、その化身である神という形を取ることにより、神仏の調和の理論的裏づけとしたのである。
を土台に神仏習合がすすんで行ったと考えられています。
ではこれはどのようにすすんでいったかというと、かなり地域差があるため一概に言い切ることは難しいように思います。
↑の文献資料便覧の項目を見ていただいただけでもわかると思いますが、
各地でそれぞれ本地と垂迹を独自に設定しており、その縁起も様々です。
(このルール性を突き詰めると民俗学や民族学に発展していくかと)
以上ご参考まで。
■神
http://www4.atwiki.jp/gods/pages/119.html
仏教関係の神を調べれば、インド神話からきてるとかいろいろ情報はあります。
■伝来順
紀元前5世紀頃…インドで仏教が開かれる(インドの仏教)
紀元後1世紀…中国に伝わる(中国の仏教)
3世紀…セイロン島(スリランカ)に伝わる(スリランカの仏教)
4世紀…朝鮮半島に伝わる(韓国の仏教)
538年…日本に伝わる(日本の仏教)
7世紀前半…チベットに伝わる(チベット仏教)
11世紀…ビルマに伝わる(東南アジアの仏教)
13世紀…タイに伝わる(東南アジアの仏教)
13〜16世紀…モンゴルに伝わる(チベット仏教)
17世紀…カスピ海北岸に伝わる(チベット仏教)
18世紀…南シベリアに伝わる(チベット仏教)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BC%9D%E4%BB%8F%E6%95%9...
とりあえず、Wikiではこういう伝来になってます。
ありがとうございます。
大まかな流れはわかるのですが、
具体的に「いつ」、「どこで」、「なぜ」習合されたのか、その当時の原理主義的な人はどういったのか、わかりやすく変化していく仏教はどう捉えられたのか、伝来する先々でその「ギャップ」に異を唱えるものはいなかったのかなどが知りたいところです。
質問の趣旨からは、やや外れますが、参考意見として、お聞きください。
>現在の日本の仏教では、釈尊以外に、「複数の如来」、「菩薩」、「天」
>などが存在し、信仰の対象となっているように思いますが、原始の仏教から
>考えると大きくかけ離れていると思います。
というご意見ですが、むしろ無数の仏がいるのは「仏教の本質」と考えたほうが良いのではないかと思います。
一神教は、神という絶対者を外部世界に起きます。
一方、仏教は
仏教とは、仏(仏陀、覚者、真理に目覚めた人、如来)の宗教、また仏(如来)に成るための教えである(ウィキペディア「Portal 仏教」)
という如く、自ら宇宙の原理(或いは「世界」)を「悟る」ことが主体にあります。
従って、悟りに至る過程を通して、様々な仏がいるのは、ある意味では仏教のあり方の本質と考えるべきもので、仏教からの逸脱とは必ずしも云えません。
ウィキペディア「仏の一覧」をみると、
「仏」とは、仏教の最高存在であり、悟りを開いた者である仏陀(如来)の他、仏陀に準ずる存在であり、悟りを開こうと修行している菩薩、密教特有の尊である明王、護法神の天部などを含めた、仏教の信仰、造像の対象となる尊格を指す。
勿論、この考え方のように、仏が体系化されていくの「釈尊」死後のことですが、それは逸脱ではなく、釈尊の考えの論理的展開と考えたほうが、実態に近いのではないかと思います。
言い換えると、仏教は、一神教のように唯一絶対的な「神的」存在を置かず、我々自身を含む宇宙の存在のあり方を「悟る」という行為そのものを重んじたところに、その意義があるのではないでしょうか。
『阿弥陀経』の、三千大千世界(全宇宙の意)に、ガンジス川の砂粒の数(恒河沙)ほどの仏があまねく存在するという思想は、まさにそのことを語っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A...
うーむ。興味深いお話をありがとうございました。
仏教の目標 (?) というのは、涅槃の境地に達して悟ろうというものだと解釈していますので、たしかに仏 (ぶつ) がたくさんいることは不自然なことではありませんし、それを目指している仏「候補」がいるのも理解できますね。
私も、自分のこの「もやもや」をどう言葉に言い表そうかと歯がゆい思いをしているのですが、あえて神「的」という表現をしたのは、ヒンドゥーないし土着系の神々が、仏を目指していたり、釈尊を慕い、守っていたりしているだけでなく、「信仰対象」とないっているところが、神「的」 (=つまり・・・信仰対象といいたいのかもしれません) と捉えてしまうのかと思います。
私が普段、触れる・目にする仏教と言うのは、まさにその「多神教的」なものであって、どうも悟りを得るための「教え」に見えないので、その体系が生まれる歴史的過程や当時の人の気持ちが知りたいなぁともやもやしているわけでございます。
ヒンドゥー教の入り乱れた神世界を見ると思うのですが、インド人のこの「ごちゃまぜ」感というものが、この大乗仏教や曼荼羅的な複雑に見える体系を生み出しているのではなかろうかと勝手に勘ぐっている次第です。
既に習合という言葉を使われているので聞き覚えのある言葉かとも思いますが、
日本における神と仏の習合の歴史については神仏習合というキーワードから探るとわかりやすいのではないかと思います。
↑のリンク先にもあるように、土着の神祇信仰と仏教信仰が再構成されることを指します。
仏教の伝来当初は仏教信仰自体がきちんと理解されていなかったため、
仏を神と同じものとして認識していたと考えられています。
これが「神」と「仏」は違うものという認識が広まるにつれ、日本の神々が仏教帰依したいと託宣したとして神→仏というルートで祭られるようになり、その社として神宮寺が建立されるようになったと言われています。
これは大乗仏教を取り入れたい豪族と、一般の人々の信仰とのいい妥協点であったのではないかと思います。
こうして神仏混淆状態からさらに仏教信仰が浸透してくると、宗派が生まれ、その教義によって神と仏の双方側からの浸透が起きるようになり、
本地垂迹説
絶対的存在としての仏や菩薩と、その化身である神という形を取ることにより、神仏の調和の理論的裏づけとしたのである。
を土台に神仏習合がすすんで行ったと考えられています。
ではこれはどのようにすすんでいったかというと、かなり地域差があるため一概に言い切ることは難しいように思います。
↑の文献資料便覧の項目を見ていただいただけでもわかると思いますが、
各地でそれぞれ本地と垂迹を独自に設定しており、その縁起も様々です。
(このルール性を突き詰めると民俗学や民族学に発展していくかと)
以上ご参考まで。
ありがとうございます。
これは、なかなか深いテーマですよね。
土着の神々を習合していくことについては、どちらかといえば海外のことを知りたいと思っています。仏教のおこりから、ヒンドゥー教の神々とのカラミ、チベットとか中国経由での変化、そこにある「大乗」的な考えと、「本来」の仏教 (原理的な) ものとのギャップがなぜ生まれ、どう捉えられてきたのか。
日本に到着した時点でかなりの変化を遂げていた大乗仏教ですが、そのルーツのあたりの変化の始まりに興味があります。
阿闍梨
nigitama ヨ、先ず下を見よ!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E7%95%8C%E6%9B%BC%E8%8D%B...
ココで重要なのは恵果阿闍梨(あじゃり)より空海に伝えられた密教の奥義の中で、胎蔵、金剛の両曼荼羅の中心に位置する大日如来を取り囲むように4如来が位置し、更にソレを菩薩が取り囲むよう位置しているが、これは固定的なパーソナリティが存在しているのではなく、常に上へアウフヘーベンされる可能性を秘めたものであるということか。
言いたいのは、tenida 氏の見識の高さ!!!!!!下手な宗教学者や大学教授が裸足で逃げ出すほど深いことを述べられている。心して聴かなければならない部分が満載ジャ!!!唯ダ他人の意見の紹介に終始する kurox とはエライ違いヤナ!!!
特に重要な点は、
>仏教は、一神教のように唯一絶対的な「神的」存在を置かず、我々自身を含む宇宙の存在のあり方を「悟る」という行為そのものを重んじたところに、その意義があるのではないでしょうか。
>むしろ無数の仏がいるのは「仏教の本質」と考えたほうが良いのではないかと思います。
一神教は、神という絶対者を外部世界に起きます。
一方、仏教は
仏教とは、仏(仏陀、覚者、真理に目覚めた人、如来)の宗教、また仏(如来)に成るための教えである(ウィキペディア「Portal 仏教」)
という如く、自ら宇宙の原理(或いは「世界」)を「悟る」ことが主体にあります。
従って、悟りに至る過程を通して、様々な仏がいるのは、ある意味では仏教のあり方の本質と考えるべきもので、仏教からの逸脱とは必ずしも云えません。
ココでわしが思うのは、古代バラモン教哲学の突極の教えである、ブラフマン(絶対神)とアートマン(内なる神)との関係を密教の両曼荼羅図は、解説して見せているのではナイカというコト。
ゼノさんありがとうございます。
> ココでわしが思うのは、古代バラモン教哲学の突極の教えである、ブラフマン(絶対神)とアートマン(内なる神)との関係を密教の両曼荼羅図は、解説して見せているのではナイカというコト。
そうですね。絵として具体化を試みたのかと考えています。
仏教の変遷の中で、日本にたどり着いたものには、ブラフマンやアートマンといったことがベールに覆い隠されているように感じますね。
本質は同じなのかもしれませんが、それを実行する手段や過程が逆に複雑化して形骸化してはいないかという点が気になり、その点に対して過去の人たちはどう考えてきたのかが一番の興味です。
(漢語への翻訳が大きなファクターかもしれませんね。コーランは翻訳してはいけないという理由が逆にここから納得できるかもしれません)
欧州では宗教改革が起こり、「原理」への回帰が叫ばれましたが、私の浅い知識の限りでは、仏教と言うのは概して形や系統や経典をさらに発展させていくことのほうが多いように思います。
(シンプルに座禅を組む人もいたかもしれませんが)
別にどちらが優れているとか先進的だとかが言いたいわけではなく、その変遷の中で人々はどう感じていたのか、どう受け止めていたのかと言うところが気になってやまないわけでした。
さらに言えば、その時代や土地や、とりわけ民族性が関わっているとしたら涎が出るほど興味深い話です。
回答ありがとうございます。
Nigitama ヨ!
>本質は同じなのかもしれませんが、それを実行する手段や過程が逆に複雑化して形骸化してはいないかという点が気になり、その点に対して過去の人たちはどう考えてきたのかが一番の興味です。
今のイスラムの混乱を見れば、如実に判ると思うが、ソモソモ突極の個人体験である宗教的啓示照明体験を一般化(要するに宗教として教え広めようとすること)は、せんナイ事ナンヨ!!!ハッキリ言います。ムリです!!!!!!世の中のアラユル宗教は、ソレが何々教と名前がついた時点で形骸化が始まり、堕落が進むんヨ!!!!!!
俺は最近 神を見た。ソレはサーバル・キャットの母親ダ!!!!!!
2 回目の登場ありがとうございます。
私の浅はかな知識から感じていることは、今のイスラムの混乱は決して宗教が「原因」ではないと思っています。宗教がなければ起きなかった問題かもしれませんが、本質的な原因ではないかなと見ています。
宗教ないし、類似のものを体系化してまとめて教え広めることは無理ではないかと思います。ただ、「自分の解釈のみを押し付け広める」ことは無理でしょう。
宗教を諸悪の根源のように云う人もいますが (あ、ゼノさんのことではないですよ)、人類の歴史から宗教がなくなったとしたらこれほど怖いものもないかと感じます。
それにしても NHK へのリンクっていうところがいいですね。
ありがとうございます。
これは、なかなか深いテーマですよね。
土着の神々を習合していくことについては、どちらかといえば海外のことを知りたいと思っています。仏教のおこりから、ヒンドゥー教の神々とのカラミ、チベットとか中国経由での変化、そこにある「大乗」的な考えと、「本来」の仏教 (原理的な) ものとのギャップがなぜ生まれ、どう捉えられてきたのか。
日本に到着した時点でかなりの変化を遂げていた大乗仏教ですが、そのルーツのあたりの変化の始まりに興味があります。