東大ができた1877(明治10)年から1888年くらいまでの間だと予想しているのですが・・・
このことが書かれた書籍、または引用した書籍が明記されたページのURLを教えて下さい。
「赤門」を東京大学の異名として使っている作品を青空文庫から探してみました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3793_27315.html
「その頃の赤門生活」芥川龍之介 1927年
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2673_6500.html
「入社の辞」夏目漱石 1907年
赤門を潜(もぐ)り込んで、講座へ這(は)い上ろうとする候補者は――勘定(かんじょう)して見ないから、幾人あるか分らないが、一々聞いて歩いたら余程(よほど)ひまを潰(つぶ)す位に多いだろう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000153/files/45469_33289.html
「天鵞絨」石川啄木 1908年
赤門といへば大学の事(こつ)てすよ、それ、日本一の学校、名前位は聞いた事があるんでせうさ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000165/files/3622_19268.html
「犬物語」内田魯庵 1902年
何ぞといふと赤門の学士会のと同類の力を頼りにして威張たがる。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000525/files/3507_16278.html
「火の柱」木下尚江 1904年
「サウ、赤門(あかもん)にせよ、早稲田(わせだ)にせよ、一生懸命社会主義を拒絶して居るに拘(かゝは)らず、講堂の内面では却(かへつ)て盛に其の卵が孵化(ふくわ)されて居るんだから、実に多望なる我々の将来ぢやないか」
少なくとも1902年まではさかのぼれることがわかります。
東大は加賀藩の江戸屋敷だったところにあります。赤門は江戸屋敷時代からあったもので、だから通称ははじめからだと思います。医学部を鉄門というのは、その横に鉄でできた門が実際にあるのです。これはそんなに古くありません。
他に弥生門やいくつかあったと思います。だから、こういうのは東大だけの習慣です。
これを真似して、中央大学がなんとか門とかいっていたことはあると思います。
ありがとうございます。書籍等に記録が残っているエピソードを探しています。
1888年(明治21年)専修大学に黒門が出来た「当時」から
「東大の赤門」といわれていたようです。
(言い換えれば黒門が出来たことによってその対抗?で
黒門は専大、赤門は東大を指すようになったと言えるのではないでしょうか)
http://72.14.235.132/search?q=cache:eXk_j73D1sYJ:www.senshu-u.ac...
>毎年春に行われている学術文化会・生田学生自治会共催の黒門祭。
この名の由来は古く、明治時代にさかのぼる。
1884年(明治17)現在の神田校舎の地を買い求め、翌年自前の校舎を新築したが、
1888年(明治21)入学者が急増し校舎を増築した。
このときから校門を旗本屋敷の黒い冠木門(柱の上方に横木を渡した屋根のない門)にしたところから、
当時、東大の「赤門」に対して「黒門」といわれ、
黒門といえば専修学校を意味したことからつけられたものである。
※余談ですが、野球の「赤バット」の川上、「青バット」の大下も
ライバルあってこそ ですから・・・
http://72.14.235.132/search?q=cache:elF5itKbW40J:www.sponichi.co...
参考になりましたが、書籍による出典を知りたいと思いました。
ありがとうございました。
世の中でどのように受け入れられているかがわかるような気がしました。