私にはこの人の気持ちが良くわかります。
上手くいっている時の、気持ちのそわそわ感、落ち着かなさ。
逆に低空飛行の時や、ギャンブルに負けた時の安堵感のようなもの。
こういう心持ちが原因で、人生が上手くいきかけるとわざわざブレーキを踏んでしまう事も良くあります。
いったいこれはどういう心理状態なのでしょうか?
どうしたら矯正できるのでしょうか?
「ここ1、2年ほど今までの人生が嘘みたいに絶好調になり、金銭面も人間関係も上手くことが進みすぎてプラス思考になってしまった。でもそれによっての反動が怖い。早くマイナス思考に戻りたい。落ち着きたい。」
初めまして。E.A.Poe(知のくずかご)と申します。
主題:自分の実力や努力でなく、単なる幸運で得た絶好調の場合に不安になるのではないか
--
小生は、あまりそう感じたことがないので、どんなときにそう感じたか思い出してみました。そうすると、非常にバカバカしい例ですが
「趣味の(笑)脱衣ポーカーゲームをやっていて絶好調のときに不安になる、というか、つい無謀なベット(掛け金のつり上げ)をして破滅(笑その2)をしてしまう」
「趣味のフリーセルのときは10連勝以上続いても『さあ、ここまで来たんだから、次はもっと慎重にやって連勝記録を伸ばそう』と思う」
ことに思い当たりました。
この違いはどこから来るのか考えてみたところ「運か実力か」の違いではないかと思います。
--
ポーカーの場合は、技術もあるのでしょうが、小生の腕では8割以上が運任せですので「この幸運がこのまま続くのだろうか?」と不安になるように思います。
そして冷静に考えれば「この勝ちをはき出さないようにちびちびと賭けていって次の幸運の波が来るまで待つ」という戦略をとるのがよいと思うのですが、待ちきれないというか、たくさんの勝ちを抱えたまま勝負し続けるのがしんどくなってつい無謀なベットをしてコイン0枚に戻るのが常のようです。
逆にフリーセルの場合は、完全にカードが見えているのでやる気になればクリアまでの道筋を頭に描けます。
実際は、大きな流れを見つけて急所と思われる地点を確認し、そこをうまく切り抜けられるように最初一手からのカードの移動を組み立てていきます。
つまり、9割近くが「実力」「先読み能力」「気合い(どこまで先を正確に読むかという集中力)」の勝負になります。
--
人生においては、小生の絶頂期は今のところ、大学時代だったと思います。
体育会合気道部に入りながら授業も(まあまあ(笑))まともに出て、アルバイトの塾講師もきっちりやり、途中で卒論に取り組んでまあまあ納得できるものを書き、…と充実した日々を送っていました。
そのときは全く不安にならなかったのですが、おそらく「努力と根性で大学に受かったので、このままやれば4年間ずっといける」と思っていたのではないかと思います。
逆にどん底は大学を卒業した後でした。就職氷河期でうまくいかず、学生時代のアルバイト(塾講師)を続けて正社員になったものの「これでイイのか?」と不安な日々でした。
結局学習塾を転々としたり事務職に応募して数年一般事務をやったり突然仕事を辞めて大学に舞い戻ってみたりしましたが、現在はそこそこ安定した境遇で「めでたさも ちゅうぐらいなり」という感じです。
「そこそこ安定」だからといって、あの頃に戻って
>そこよりも落ちないという安心感・安定感
を得たいとは全く思いません。
やはり、そこそこであっても自分の力で得た居場所ですから「この状況ならずっと続けられる」「不幸にしてまたどん底になっても、この場所ぐらいまでなら這い上がれる」と思っているからだと思います。
--
そんなことから考えて
「絶頂を不安に感じる場合というのは『自分の力で得た絶頂ではない』『幸運だけの絶頂だ』『この絶頂が終わったらもう戻れない』という意識がある場合だ」
「絶頂でも不安に感じない場合というのは『自分の力で得た絶頂だ』『この絶頂が終わってもまた戻れる』という意識がある場合だ」
と考えたのですが、いかがでしょうか?
例えば、宝くじで1億円当たっておいしい生活をしている場合を想像すると、おそらく不安になるでしょうが、一生懸命稼いで得た1億円でおいしい生活をしている場合はあまり不安にならないのではないかと思います。
こんな仮定の話も、小生の説の傍証になるのではないかと思います。
--
小生個人の経験と感覚から想像してみたのですが、お役に立ちますかどうか。
これは完全に「うつ病」の症状の断片です。
一般的にうつ病と言うと、何かショックなことがあったときに発症するものだと思われがちですが、実際には結婚や昇進など人生がうまくいっているときに不安が生じて発症することも多いのです。
矯正するのは難しいですが、「こういった症状はよくあること」だと認識していればかなり緩和することが出来ます。
なるほどそうかもしれません。
ただ知りたいのはその考え方なんです。
つまり「人生がうまくいっているときに不安が生じる」のはなぜなのか、
そういう人はどのような思考をしているのか、
を客観的に指摘していただければ、自分の思考を自己認識できるので、矯正も可能だと思います。
理由はかなりいろいろなパターンが考えられますので一概には言えませんが、多くは「責任」を感じることにあるようです。
例えば、
・人間関係がうまくいくことで、周りからの信頼を維持するためのプレッシャー。
・昇進して周りから期待されることで、周りの期待に応えるための責任感。
その責任やプレッシャーが「失敗への恐れ」に繋がり、不安となり、回避したいと思うようになるのです。
それ以外だと、
「環境が変化したことへの漠然とした不安」
人間は未知の環境に放り込まれると本能的に不安を覚えるものです。
あとこれは少数ですが、
「満たされることで目指すものが無くなる」
生きる目標として何かを目指しているときはいいですが、それがすべて叶ってしまうと生きてることに価値を見いだせなくなってしまい、不安になってしまうというものです。
無趣味な人などに見られるケースです。
>「失敗への恐れ」に繋がり、不安となり、回避したいと思うようになるのです。
たぶんこれですね。
成功するという事は今よりも良い状態になるという事で、そこから落ちる余地、つまり失敗する土壌を生むと発想してるんですね。
逆に今が失敗している状態ならば、そこよりも落ちないという安心感・安定感があります。
人間は、生活が変わる事を恐れます。
ですが、自分に自身がある人は、あまりそれを恐れません。
無意識に罪の意識を持ってて、
自分の本当の目的を忘れている人は、
上手くいきそうな時に、何故かそこから逃げる確率が高いです。
それは変化を恐れると同時に、
無意識に、自分で勝手に自分を罪人として裁いているのが原因です。
ああそうかもしれない。
自己肯定感がない時期が長いと、無意識に罪の意識を持つようになるんでしょうね。
絶好調なときほど、ふと不安になることはありますよね。
逆に、不調なときはまぁ落ち込んではいるものの、落ちるところまで落ちれば、後はあがるかな?
くらいに考えていたりもします。
絶好調なときでも、常にこの状態がいつまで続くかはわからない、と考え
不調に転じたときへの備えをしておけば、安心して絶好調の波に乗っていられるのではないか?
と考えます。
安全対策ですね。
当たり前の事なのに、考えてませんでした。
不安の原因は、絶好調の状態を失うことへの恐れかも。
・禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し
http://www.geocities.jp/kurogo965/kotowaza3/page32.html
矯正する必要はないと思います。多くの人が、絶好調のとき、調子に乗リ過ぎて失敗しています。むしろ、そういうことが自然に出来るのは、良いことかも。
・勝って兜の緒を締めよ
http://www.nihonjiten.com/data/308.html
普通の人にはこれがなかなか出来ないことです。
>不安の原因は、絶好調の状態を失うことへの恐れ
言い得てると思います。
>矯正する必要はないと思います。多くの人が、絶好調のとき、調子に乗リ過ぎて失敗しています。
私は絶好調の時が落ち着かないので、わざわざ破滅に向かって進むんですよ。
そしてその状態は周囲からは、調子に乗っているように見えると思います。
どう参考にすればいいのか教えてください。
幸せになると不安を抱くという感じでしょうか。
私にも経験あります。
今まで悲しい出来事が多かったりすると、突然幸せになった瞬間、その幸せはいつかまた消えてなくなることを不安に思います。
また悲しい生活にいつか戻るだろうと感じ、今の幸せに安心して身をおくことが出来なくなる感覚。
違いますか?
>幸せになった瞬間、その幸せはいつかまた消えてなくなることを不安に思います。
今の幸せに安心して身をおくことが出来なくなる感覚。
ここは当たっています。
ただ悲しい出来事・生活が多かったか、といえば幸いにしてそうでもなかったと思います。
前の失敗を引きずってるのかもしれません。
通常、うまくいってる場合はそわそわはしてこないと思います。
病気だとしても、早くマイナス思考に戻りたいとは思わないと思います。
うまくいってる場合にそわそわする現象はどうも珍しい事ではないように思います。
人生なんて良いことばっかり続くはずがない・・・なんて言葉はきついですが、ちょっと貧乏人根性にはまっているのかも・・・「押せ押せムードのときは強気だ!」って勇気を持ちましょう!
そうやって無理矢理ポジティブ的解決をすると、加減をせずにアクセルを踏む事になって、非常に危ういです。
そんな人、心当たりありませんか?
人生がうまく行っている時は、その流れに身を任せてみるのも一考と思いますが
「これはいつまで続くのか?」
「うまく行く前より酷い状態に陥るのではないか?」などと
うまく行っていれば行っている程、その状態から落転してしまう恐怖みたいなものがあるのかもしれません。
その恐怖感みたいなものを感じてしまうと言うことは
他人から見れば幸せの絶頂であっても、本人にはストレス以外の何者でもありません。
ストレスになるような出来事が起こると、脳内のセロトニンという神経伝達物質や
ノルアドレナリンという物質が過剰に分泌して、使われ過ぎてしまって枯渇してしまいます。
このセロトニンの分泌が不足してしまうから
うつ状態になって不安感が強くなってしまうという考え方です。
セロトニンは「安らぎ」を与えてくれるホルモンらしいですから
これを増やしてみるのは如何でしょうか。
以下、セロトニンを増やしてくれる食べ物だそうです。
・ココア、チョコレート
・乳製品
・バナナ
・落花生、大豆食品
また、セロトニンは一定のリズムでの外側からの刺激によっても分泌促進されると言うお話もあるそうで
その代表的なものが「貧乏ゆすり」
ストレスがたまると無意識に行ってしまう行動の一つですが
これは人間が本来持っている均衡を取ろうとする働きで無意識にリズムを取ってストレスに対抗する行動なんですね。
不安を感じてから鬱になった時の対策ではなくて、不安を感じないようになる考え方を模索しています。
貧乏ゆすりにそんな効用があったとは!
たしかに落ち着きますね、あれ。
逆に周囲にやられると、イライラするのは、自分の不安を呼び起こすからなのかもしれませんね。
初めまして。E.A.Poe(知のくずかご)と申します。
主題:自分の実力や努力でなく、単なる幸運で得た絶好調の場合に不安になるのではないか
--
小生は、あまりそう感じたことがないので、どんなときにそう感じたか思い出してみました。そうすると、非常にバカバカしい例ですが
「趣味の(笑)脱衣ポーカーゲームをやっていて絶好調のときに不安になる、というか、つい無謀なベット(掛け金のつり上げ)をして破滅(笑その2)をしてしまう」
「趣味のフリーセルのときは10連勝以上続いても『さあ、ここまで来たんだから、次はもっと慎重にやって連勝記録を伸ばそう』と思う」
ことに思い当たりました。
この違いはどこから来るのか考えてみたところ「運か実力か」の違いではないかと思います。
--
ポーカーの場合は、技術もあるのでしょうが、小生の腕では8割以上が運任せですので「この幸運がこのまま続くのだろうか?」と不安になるように思います。
そして冷静に考えれば「この勝ちをはき出さないようにちびちびと賭けていって次の幸運の波が来るまで待つ」という戦略をとるのがよいと思うのですが、待ちきれないというか、たくさんの勝ちを抱えたまま勝負し続けるのがしんどくなってつい無謀なベットをしてコイン0枚に戻るのが常のようです。
逆にフリーセルの場合は、完全にカードが見えているのでやる気になればクリアまでの道筋を頭に描けます。
実際は、大きな流れを見つけて急所と思われる地点を確認し、そこをうまく切り抜けられるように最初一手からのカードの移動を組み立てていきます。
つまり、9割近くが「実力」「先読み能力」「気合い(どこまで先を正確に読むかという集中力)」の勝負になります。
--
人生においては、小生の絶頂期は今のところ、大学時代だったと思います。
体育会合気道部に入りながら授業も(まあまあ(笑))まともに出て、アルバイトの塾講師もきっちりやり、途中で卒論に取り組んでまあまあ納得できるものを書き、…と充実した日々を送っていました。
そのときは全く不安にならなかったのですが、おそらく「努力と根性で大学に受かったので、このままやれば4年間ずっといける」と思っていたのではないかと思います。
逆にどん底は大学を卒業した後でした。就職氷河期でうまくいかず、学生時代のアルバイト(塾講師)を続けて正社員になったものの「これでイイのか?」と不安な日々でした。
結局学習塾を転々としたり事務職に応募して数年一般事務をやったり突然仕事を辞めて大学に舞い戻ってみたりしましたが、現在はそこそこ安定した境遇で「めでたさも ちゅうぐらいなり」という感じです。
「そこそこ安定」だからといって、あの頃に戻って
>そこよりも落ちないという安心感・安定感
を得たいとは全く思いません。
やはり、そこそこであっても自分の力で得た居場所ですから「この状況ならずっと続けられる」「不幸にしてまたどん底になっても、この場所ぐらいまでなら這い上がれる」と思っているからだと思います。
--
そんなことから考えて
「絶頂を不安に感じる場合というのは『自分の力で得た絶頂ではない』『幸運だけの絶頂だ』『この絶頂が終わったらもう戻れない』という意識がある場合だ」
「絶頂でも不安に感じない場合というのは『自分の力で得た絶頂だ』『この絶頂が終わってもまた戻れる』という意識がある場合だ」
と考えたのですが、いかがでしょうか?
例えば、宝くじで1億円当たっておいしい生活をしている場合を想像すると、おそらく不安になるでしょうが、一生懸命稼いで得た1億円でおいしい生活をしている場合はあまり不安にならないのではないかと思います。
こんな仮定の話も、小生の説の傍証になるのではないかと思います。
--
小生個人の経験と感覚から想像してみたのですが、お役に立ちますかどうか。
素晴らしい!
まったく言い得てます。
よくぞ言語化してくださいました。
ここから見える対処法は、成功に見合う自信をつけるという事ですね。
具体的には、それを裏打ちするものが、努力量や能力、あるいは人格なのでしょう。
宝くじに当たって欲しいと思わなくなりました。
ありがとうございます。
>主題:自分の実力や努力でなく、単なる幸運で得た絶好調の場合に不安になるのではないか
「絶頂を不安に感じる場合というのは『自分の力で得た絶頂ではない』『幸運だけの絶頂だ』『この絶頂が終わったらもう戻れない』という意識がある場合だ」
「絶頂でも不安に感じない場合というのは『自分の力で得た絶頂だ』『この絶頂が終わってもまた戻れる』という意識がある場合だ」
それを書いた人はおそらくネガティブ思考がデフォルトなのではないかと思います。
たとえば、汚い家に住んでいる人間がきれいな家に入ると落ち着かないように、今まで生きていた環境が一番落ち着くのではないかと思います。たとえそれがどんなに劣悪であろうとも。
それがその人が一番落ち着ける自己像であるのではないでしょうか。
人間は常に微調整を繰り返して環境に適応していくものなので、ある程度は適応できるのではないかと思いますが、あまりにギャップが大きいとアイデンティティや価値観が混乱するかもしれませんね。ストレスが激しくならない程度に休息を取ったほうがいいかもしれません。
>その人が一番落ち着ける自己像
>人間は常に微調整を繰り返して環境に適応していくものなので、ある程度は適応できるのではないかと思いますが、あまりにギャップが大きいとアイデンティティや価値観が混乱するかもしれませんね。
引用部についてその通りだと思いますが、その対処法は、
>ストレスが激しくならない程度に休息を取ったほうがいいかもしれません。
ではなく、11番の返信欄に書いた「成功に見合った裏付けを得る事」の方が建設的だと思います。
どうせ努力は地道なものなので、ギャップが生まれるほど環境に変化は起きないでしょうし。
ところで、どの程度の「ギャップ」に対応できるか、がいわゆる「器」なのかもしれませんね。
素晴らしい!
まったく言い得てます。
よくぞ言語化してくださいました。
ここから見える対処法は、成功に見合う自信をつけるという事ですね。
具体的には、それを裏打ちするものが、努力量や能力、あるいは人格なのでしょう。
宝くじに当たって欲しいと思わなくなりました。
ありがとうございます。
>主題:自分の実力や努力でなく、単なる幸運で得た絶好調の場合に不安になるのではないか
「絶頂を不安に感じる場合というのは『自分の力で得た絶頂ではない』『幸運だけの絶頂だ』『この絶頂が終わったらもう戻れない』という意識がある場合だ」
「絶頂でも不安に感じない場合というのは『自分の力で得た絶頂だ』『この絶頂が終わってもまた戻れる』という意識がある場合だ」