記号学のシニフィアンとシニフィエというものを最近知りました。


人は記号を見て、その記号内容を直ぐに想起できます。
その時、その記号をシニフィアン、記号が指す内容をシニフィエというらしいですね。
ではその記号を見た時に想起される情緒、感情、感覚は何て言うのでしょうか?

たとえば
「子猫」という文字記号を見た時、子猫の姿形、動きなど記号内容シニフィエが想起できるとおもいます。その時にほぼ同時に「子猫のかわいさ」も同時に想起されると思うのですが(個人によって変わるとおもいますが)、この時の「子猫のかわいさ」を記号学の専門用語で何と言うのでしょうか?

また、この概念が記号学の対象外ならば近いような学問の専門用語を教えて下さい。

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  • 終了:2012/06/15 06:05:03
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id:ShinRai No.2

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記号論でも認知科学でも、記憶そのものについてあまり議論していませんが、それは記憶(感情の記憶)じゃないですか。

「その言葉(シニフィアン、あるいはMorpheme)によって想起される感情の記憶」といえないでしょうか。

ペンフィールドによれば、側頭葉には、「1) 記憶された出来事や経験,2) その出来事に関連した思考,3) それが引き起こす感情」の記憶があり,言葉の刺激によって再生されるようです。

http://www.bookpark.ne.jp/cm/ipsj/search.asp?flag=6&keyword=IPSJ-NL11200001&mode=PDF

「側頭葉には無数の神経細胞パターンがあり,記憶の記録となっている.電極は患者に過去の出来事の記憶など心理的経験をもたらし,患者は手術台でそれを説明できる.

こうして生み出される幻覚は,視覚か聴覚かその両方であるが,決して単音や静止画ではない.これらの心理的幻覚は,大脳皮質の聴覚野や視覚野を刺激したときに生み出される視覚や聴覚の感覚経験とは著しく異なっており,秩序だっている.

これは体験記憶であり,患者が聴いた歌の再生かもしれない.もしそうならば,患者はそれを始まりからお終いまで「聴いている」のであって,一度に全部を聴くわけ
ではない.患者にとっては正確な記憶というより夢のようなものにうつる.しかしこの夢には,なじみの場所が登場し,親しい人々が話しかつ行動する.このような幻覚,記憶,あるいは夢が,電極がそこに当てられている間中,ゆっくりと展開する.

これは驚くべき発見である.これによって心理現象は生理学となった.もし我々が記録を正しく読み取れるなら,心理研究においても重大な意味をもつだろう.(略)

明らかに電極の下の部分には出来事の記憶を記録するメカニズムがある.しかしこのメカニズムは単純な出来事を記録する以上のことをしているようにみえる.活性化すると,元の経験に付随する感情も再生する.さらに,神経節のメカニズムは,その出来事を思い出したときに感じる感情の記憶やその出来事の重大性に関する論理判断の内訳を,あらたにその記憶に付け足すのである.

過去の出来事の記憶を思い出すときには,中枢神経システム内部の神経細胞メカニズムを作動させなければならない.回想において,記憶は片側の大脳半球で見える片眼失明的な像ではない.単一の感覚器官からの素材に限られているわけでもなく,むしろその逆である.(略)両半球に届く視覚刺激と聴覚・体性感覚がすべてひとつにまとまっている.それに加えて,原初の体験のときに個人が感じた感情や,その経験に関してその人が行った真か偽かの推論ももたらすことがある.


刺激によって生み出される記憶の場合も同じである.側頭葉には,まちがいなくたくさんの神経節パターンがあるのだが,刺激が活性化するのはたったひとつのパター
ンだけであり,ひとつだけの回想が意識に提示される.しかし記録は出来事の記録だけではない.その経験に関する個人の思考の内訳やそのときの感情も記録されている.

脳外科手術の最中に我々が遭遇し,おそらく2 つの半球の対応する領域にも同じメカニズムがある神経メカニズムは,1) 記憶された出来事や経験,2) その出来事に関連した思考,3) それが引き起こす感情を,再生する機能をもつようである.(略)

この記憶パターンの再生は,両半球を通過するすべての神経刺激(つまりその出来事に関連するすべての神経刺激)の調整あるいは統合なしには,大脳皮質上で形成されえない.記録されているものは統合された全体なのである.」

Penfield,W., Jasper,H. Epilepsy and the functional anatomy of the human brain, Boston Little 1954, P142-4,


「1) 記憶された出来事や経験,2) その出来事に関連した思考,3) それが引き起こす感情」はすべてアナログな五官の記憶であり,デジタルな言語記憶は含まれていない.

ちなみにペンフィールドは言葉そのものの記憶は、側頭葉にはないと言っています.

「おそらく出来事を思い出すという意識作業は,話したり読むための意識作業とは別のものなのであろう.皮質を刺激したときに患者が人々の話し声を聴いたりその話を理解することはできたが,刺激によって患者が話しだしたり,個別の単語を思い出すということはなかった.」

その他の回答1件)

id:sheep5 No.1

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ポイント50pt

「想起される情緒、感情、感覚」というのは価値観の領域のことだというのがポイントですね。価値観は人それぞれでまちまちですが、「自己表出」という呼び方があります。先日亡くなられた思想家吉本隆明氏の論考によるものです。参考文献『言語にとって美とはなにか』を参照ください。
「自己表出」ではない部分は「指示表出」と定義されています。名詞は指示表出の代表、助詞や副詞は自己表出の代表という大まかな区分けもできます。いかなる文字や記号も指示表出と自己表出の両方の属性をもっています。

「シニフィアン」「シニフィエ」は便利そうですが、表音文字の文化圏の発想ですので限界があります。表意文字でもある漢字など日本語の文化圏では文字の情報はもっと多くなるでしょう。記号(文字)が示しているものは対象の形態、対象にともなう概念、対象から想起するもろもろ…とさまざま。さらに文字そのものの視覚情報もあります。漢字は視覚情報も豊富ですから。

さらに考えると、指示表出は価値判断からはフリーなのですが、感動や印象が強烈で指示表出に自己表出(価値判断)が入り込む場合があります。単なる名詞に個人的な意味や感動を感じるような場合です。これが視覚などの感覚で起こる場合をクオリアといいます。(クオリア論者ほどクオリアの明確な定義がほとんどできていないのは問題ですね。特に理系の場合だと論外かもしれません)

id:ShinRai No.2

回答回数491ベストアンサー獲得回数21ここでベストアンサー

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記号論でも認知科学でも、記憶そのものについてあまり議論していませんが、それは記憶(感情の記憶)じゃないですか。

「その言葉(シニフィアン、あるいはMorpheme)によって想起される感情の記憶」といえないでしょうか。

ペンフィールドによれば、側頭葉には、「1) 記憶された出来事や経験,2) その出来事に関連した思考,3) それが引き起こす感情」の記憶があり,言葉の刺激によって再生されるようです。

http://www.bookpark.ne.jp/cm/ipsj/search.asp?flag=6&keyword=IPSJ-NL11200001&mode=PDF

「側頭葉には無数の神経細胞パターンがあり,記憶の記録となっている.電極は患者に過去の出来事の記憶など心理的経験をもたらし,患者は手術台でそれを説明できる.

こうして生み出される幻覚は,視覚か聴覚かその両方であるが,決して単音や静止画ではない.これらの心理的幻覚は,大脳皮質の聴覚野や視覚野を刺激したときに生み出される視覚や聴覚の感覚経験とは著しく異なっており,秩序だっている.

これは体験記憶であり,患者が聴いた歌の再生かもしれない.もしそうならば,患者はそれを始まりからお終いまで「聴いている」のであって,一度に全部を聴くわけ
ではない.患者にとっては正確な記憶というより夢のようなものにうつる.しかしこの夢には,なじみの場所が登場し,親しい人々が話しかつ行動する.このような幻覚,記憶,あるいは夢が,電極がそこに当てられている間中,ゆっくりと展開する.

これは驚くべき発見である.これによって心理現象は生理学となった.もし我々が記録を正しく読み取れるなら,心理研究においても重大な意味をもつだろう.(略)

明らかに電極の下の部分には出来事の記憶を記録するメカニズムがある.しかしこのメカニズムは単純な出来事を記録する以上のことをしているようにみえる.活性化すると,元の経験に付随する感情も再生する.さらに,神経節のメカニズムは,その出来事を思い出したときに感じる感情の記憶やその出来事の重大性に関する論理判断の内訳を,あらたにその記憶に付け足すのである.

過去の出来事の記憶を思い出すときには,中枢神経システム内部の神経細胞メカニズムを作動させなければならない.回想において,記憶は片側の大脳半球で見える片眼失明的な像ではない.単一の感覚器官からの素材に限られているわけでもなく,むしろその逆である.(略)両半球に届く視覚刺激と聴覚・体性感覚がすべてひとつにまとまっている.それに加えて,原初の体験のときに個人が感じた感情や,その経験に関してその人が行った真か偽かの推論ももたらすことがある.


刺激によって生み出される記憶の場合も同じである.側頭葉には,まちがいなくたくさんの神経節パターンがあるのだが,刺激が活性化するのはたったひとつのパター
ンだけであり,ひとつだけの回想が意識に提示される.しかし記録は出来事の記録だけではない.その経験に関する個人の思考の内訳やそのときの感情も記録されている.

脳外科手術の最中に我々が遭遇し,おそらく2 つの半球の対応する領域にも同じメカニズムがある神経メカニズムは,1) 記憶された出来事や経験,2) その出来事に関連した思考,3) それが引き起こす感情を,再生する機能をもつようである.(略)

この記憶パターンの再生は,両半球を通過するすべての神経刺激(つまりその出来事に関連するすべての神経刺激)の調整あるいは統合なしには,大脳皮質上で形成されえない.記録されているものは統合された全体なのである.」

Penfield,W., Jasper,H. Epilepsy and the functional anatomy of the human brain, Boston Little 1954, P142-4,


「1) 記憶された出来事や経験,2) その出来事に関連した思考,3) それが引き起こす感情」はすべてアナログな五官の記憶であり,デジタルな言語記憶は含まれていない.

ちなみにペンフィールドは言葉そのものの記憶は、側頭葉にはないと言っています.

「おそらく出来事を思い出すという意識作業は,話したり読むための意識作業とは別のものなのであろう.皮質を刺激したときに患者が人々の話し声を聴いたりその話を理解することはできたが,刺激によって患者が話しだしたり,個別の単語を思い出すということはなかった.」

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