匿名質問者

長野県の県庁所在地である長野市の街には、JRの駅から善光寺さんへ行く途中の町並みの中に(右側)、「中御所」という地名があるのですが、この「いわれ」は何かあるでしょうか。「御所」という以上、位の高い人が居たと思われます。町並みをウロウロと歩いたのですが、説明書きを見つけることが出来ませんでした。

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  • 終了:2013/06/19 12:55:04

回答1件)

匿名回答1号 No.1

町名は、鎌倉時代に現在の中御所二丁目にあった信濃国国衙(後庁-御庁)の守護所「中御所(なかのごしょ)」に由来する。この中御所(なかのごしょ)の名は、1197年(建久2年)に源頼朝が善光寺参詣の際、領主漆田氏が館を造営して頼朝を迎えたことに起因するという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%BE%A1%E6%89%80

 中御所守護館のあった中御所の地名の由来でありますが、先述しました「国衙に対して中御所といったこと」と(善光寺再建の大スポンサーである)「源頼朝が建久8年(1197年)に善光寺に参詣した際にこの辺りの有力者である漆田氏の館に泊まったこと」の二つがあります。

http://shinano.seesaa.net/article/46132995.html
匿名質問者

ありがとございました。
ちなみに、御所というからには、単なる守護(小笠原氏は確かに名門守護かもしれませんが)の居た場所というよりも、頼朝公をお迎えしたという方が、自分としてはしっくりくるような気がしました。
もっとも信濃守護には、一時、三管領一族の方(斯波・・・ある意味で足利氏より名門)が補任されたので御所という呼び名があったのかも、と勝手も思ってしまいました。

2013/06/12 14:20:01
匿名質問者

質問者から

匿名質問者2013/06/12 17:00:25

御所のいわれがわかり、有難うございました。「中御所」の「中」とはどういう意味かな、とも、思っていましたが、第二庁舎ということで、この点も納得しました。

匿名回答者1号様の御紹介の頁には、第一庁舎が豊御所、第二庁舎が中御所と呼ばれたというような記載でした。たぶん、豊というのは、何かの地名かな、と思います。いかがでしょうか。

(補足)第一庁舎と第二庁舎の二つがあるのでしたら、「下御所」と言わずに、「中御所」と呼んだのもなぜかなと思ってしまいました。

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