1970年大阪万博の時の話です。

1970年の大阪万博で千里ニュータウンの方々が「民泊」のように、万博を見に来た人の泊まるところがないので、団地に泊めてあげたという話をどこかで見かけた記憶があります。
・千里ニュータウンに万博のときに泊めて貰った
・千里ニュータウンに住んでいたが来場者を泊めてあげた
いずれかの経験者の方、具体的にどのように泊まる人・泊める人をマッチングしたのか、一泊いくらだったのか、食事はどうしたのか、など経験をお話いただけますでしょうか。

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回答1件)

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今の人力検索は、少数の中高年の常連が頑張っているだけで、随分過疎っています。
ましてや1970年の大阪万博で千里ニュータウンの関係者となると、
証言者は限りなくゼロに近いと思われます。

そこで私がネットで調べてみました。
それによると、大阪万博の時に千里ニュータウンを、ホテルや旅館の代わりに
利用した話は確かにありました。
旅行会社「東京ブルー観光」(現 ビッグホリデー)の岩崎安利氏のアイデアで、
千里ニュータウンのマンションに泊まるツアーです。
料金は夜行バス代を含めて1万3500円。
ですのでマッチングは業者間の交渉ということになります。
狭いマンションの入居中の部屋に、見ず知らずの他人を泊めるわけにはいかない
でしょうから、当然空き部屋を利用したと思われます。
(当時の入居者は、若い夫婦がほとんど)

http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20130618/ecn1306180713001-n1.htm

「翌年大阪万博が開かれたときなど、一世一代ともいえるアイデアを駆使して勝負に出ました」
──どんな手法を
 「巨大イベントだっただけに近隣のホテルや旅館は大手旅行会社に押さえられていた。弱小旅行会社の出る幕などなかった。そこで目を付けたのが万博会場近くの千里ニュータウンに建つマンション群です。売主のデベロッパーと交渉してこれを借り、貸し布団と仕出し弁当を付けて移動は夜間バス。これで1万3500円という破格の商品に仕上げたわけです。当時、慰安旅行で万博など夢のような話だっただけに反響は大きく、何とバス120台分を送客。社員3人はフル稼働だった。売り上げは1億円に達したほどでした」

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