匿名質問者

なぜ、東京は、圧倒的に地震の多いところに首都をおいたのでしょう。

昔の人は、京都、近畿が安全だとしって首都を構えたんだと思います。
たびかさなる震災を受けながら、首都機能を移さないのは家康から脱却できてないのでしょうか。

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  • 終了:2015/01/27 08:50:05

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匿名回答4号 No.4

一番危険な地域なら特定できる。
フォッサマグナがそれ。
また、マントルプレートの潜り込むラインに沿って、地震の深度は深くなる。
東京は富士山の近くだし、関東に住んでみると地震が多いのに驚くって人も多い。
西日本は確かに関東ほど有感地震が多くない。
関東は造山運動の最中って感じだな。
小笠原諸島の先端では島が大きくなるほどの噴火が起きている。

今も昔も首都の位置は地政学的な都合と政治的なあるいは経済的な要因から決まる。
江戸幕府の場合も、幾つかの要因がある。
まず、京都を占拠して朝廷を直接管理するよりも、捨て扶持を宛がって、貴族社会を徐々に弱体化させる方が手間暇や金銭面から有利だったようだ。
当時の朝廷からの影響を極力排除する必要があった。

経済的な要因も見逃せない。
近畿を中心とする地方は生産力、当時の事だから米の石高で見るんだけど、その中心ではなくなっていたようだ。
関東平野を中心に、東北地方の生産力が強く、サプライ面では京都は中心から外れてきていた。

軍事面では蝦夷、東北、は比較的安全な後背地と言うべき存在だった。
当時の幕府の仮想敵は朝廷の残存勢力と西国の大名だった。

元々の徳川の領地として安心できる所領だった事も大きいし、徳川家そのものが関東に馴染んでいたようにも見える。
外にも言葉の問題とか宗教の柵を絶ちたいとか、色々な理由があったようなんだけど、整理され明文化された資料は残されていない。

現在では一極集中の弊害が出すぎていて、首都の分散や移転があらゆる面で有利になりつつあるんだが、関東の土着した勢力は昔の朝廷のように関東を離れたがらないで寄生虫と化している。
当時の徳川は、今の東京のようになった京都を見捨てて江戸に移ったんだ。
そうできるだけの力があったからこそ、300年の太平の世を閲した。

その他の回答3件)

匿名回答1号 No.1

> 昔の人は、京都、近畿が安全だとしって首都を構えたんだと思います。

思うのは勝手だけど証拠が無いならただの妄想に過ぎないと思うよ。
だいたい江戸に拠点を置いたのは家康の意思ではなく秀吉の命令だし、
そもそも「たびかさなる震災」ってどの地震とどの地震を指してるの?

1923年の関東大震災を含め、
過去の関東地方の大地震は全て相模湾で起きてるので、
東京が地震が多いというわけではない。

先の東日本大震災でも、震源地は遠かったものの関東でも相当揺れて、
千葉県ではコンビナート火災にまで発展している。

近畿が安全だって言われていたのはけっこう昔の話で、
阪神淡路の直後には、近いうちに大地震が起こるという事が
事前に指摘されていた事が直後に判明した。
実際、今一番危険視されているのは東南海地震で、
地域的には近畿地方でしょ。

とはいえ、東海地震が起こる起こると言われ続けてだいぶ経つけど、
その間に起こったのは、北海道、東日本、新潟、長野、北陸、阪神淡路など
全て別の地域なんだよね。

で結局、どこに首都を移すと安全なんですか?

匿名回答2号 No.2

単に関東平野が日本最大の平野だから首都であり続けているのでは?

匿名回答3号 No.3

> 昔の人は、京都、近畿が安全だとしって首都を構えたんだと思います。

思うのは勝手だけど、思い違いでしょう。
そもそも、首都などという考え方はないでしょう。都とか、居住地、拠点、支配者の居城のように考えたでしょう。
明日香にしても、平城、長岡、平安にしても、難波などでも、長期の災害の状況などに関して調べることも、伝承を気にすることもなかったでしょう。 移転の前に必要としていた広さや地の利、山や川との位置関係・風水など当時気にしていた吉凶を気遣う程度だと思います。

> たびかさなる震災を受けながら、首都機能を移さないのは

火災、地震、津波、洪水、積雪などの災害があったにしても、基本は復旧・再興であって、移転などは考えないでしょう。
戦火で破壊されたとしても、原住民は特別の政治経済の事情がなければ、ほぼ同じ地域の中や周辺、近郊で再建を目指すと思います。

地震、噴火、津波、洪水、戦火などは、数年の期間でみれば、大変でも、やがては無くなると思うのが普通の考えでしょう。 京都も応仁の戦火で焼け野原になっても、またそこでなんとかするし、あの近畿の内陸部を都がうろうろして、四国などには移転しないのも似たようなものでしょう。

匿名回答4号 No.4

ここでベストアンサー

一番危険な地域なら特定できる。
フォッサマグナがそれ。
また、マントルプレートの潜り込むラインに沿って、地震の深度は深くなる。
東京は富士山の近くだし、関東に住んでみると地震が多いのに驚くって人も多い。
西日本は確かに関東ほど有感地震が多くない。
関東は造山運動の最中って感じだな。
小笠原諸島の先端では島が大きくなるほどの噴火が起きている。

今も昔も首都の位置は地政学的な都合と政治的なあるいは経済的な要因から決まる。
江戸幕府の場合も、幾つかの要因がある。
まず、京都を占拠して朝廷を直接管理するよりも、捨て扶持を宛がって、貴族社会を徐々に弱体化させる方が手間暇や金銭面から有利だったようだ。
当時の朝廷からの影響を極力排除する必要があった。

経済的な要因も見逃せない。
近畿を中心とする地方は生産力、当時の事だから米の石高で見るんだけど、その中心ではなくなっていたようだ。
関東平野を中心に、東北地方の生産力が強く、サプライ面では京都は中心から外れてきていた。

軍事面では蝦夷、東北、は比較的安全な後背地と言うべき存在だった。
当時の幕府の仮想敵は朝廷の残存勢力と西国の大名だった。

元々の徳川の領地として安心できる所領だった事も大きいし、徳川家そのものが関東に馴染んでいたようにも見える。
外にも言葉の問題とか宗教の柵を絶ちたいとか、色々な理由があったようなんだけど、整理され明文化された資料は残されていない。

現在では一極集中の弊害が出すぎていて、首都の分散や移転があらゆる面で有利になりつつあるんだが、関東の土着した勢力は昔の朝廷のように関東を離れたがらないで寄生虫と化している。
当時の徳川は、今の東京のようになった京都を見捨てて江戸に移ったんだ。
そうできるだけの力があったからこそ、300年の太平の世を閲した。

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