下記の①②は中華民国と理解しております。
さて、③は、中華人民共和国のようですが、どういう経緯でしょう?
⇒ 中華人民共和国は、
いったん、11段線を引き継いだことを宣言した、
というわけではなくて、
9段線を示したのでしょうか。
中華人民共和国政府としては、
金門島での戦闘などで、実際には大忙しだったと思います。
⇒ 中華民国は、どうなったでしょう。
形式的にみれば、
依然として、11段線を主張している
という状況でしょうか?
(馬政権と蔡政権では実際には違うかもしれませんけれど)
①②③とは次のとおり・・・
①1930年
中華民国政府が発行した地図。
そこに、南シナ海の島嶼の領有権が示されていた。
②1947年
「中国の権威が及ぶ範囲の限界」として、
南シナ海に11の区画線からなる「11段線」を引いた。
③1953年
区画線を2本、削除し、現在の九段線の形にした。
上記の質問本文では③を取り上げてます。どうぞよろしくお願いします。
次に①②の件なのですが、①の時期は、国民政府(蒋介石政権=南京)が北伐を完了した直後ですね。日本は、東アジアの軍事強国として存在していたはずですが、この状況のなかで、中華民国政府は、地図を発行したということですね。特に、対外的に宣言するとか、そういうことはせず、政府が地図だけ発行したということでしょうか?
政府機関が地図を発行したとは、中国国内で、市販されたということを言っているのでしょうか?。
(中国の深謀遠慮には驚かされます。いずれ日本が弱体化すれば、
その時に、生かすというのでしょう。
まぁ、それはそれとして)
日本は、中華民国政府発行の地図には、気が付かなかったのでしょうか? もしも気が付けば、何か言いそうだと思いますけれど(戦後の日本政府なら何も言わないかもしれませんが)。
また、その後、国民政府から汪兆銘が脱出して新政権を作りますが、この汪兆銘政権は、この地図の立場を踏襲していたんでしょうか?
大東亜会議ではどういう扱いになったんだろうか、あえて触れなかったのか?(汪兆銘政権は、大東亜会議では中国の正統政権として参加)。
コメント(1件)
本来、中国は東アジア最大の侵略国家だった。
中華帝国の伝統を襲いだ侵略路線なんだから、細かい理由付けをまともに考えるべきではない。
中国の言い分は、中国にとって必要だから侵略するって事に尽きる。
大日本帝国が満州はニッポンの生命線って言い張ったのと同じ。