「絶対王者」という言葉の初出年代、造語者や初出媒体を教えてください。


リオのオリンピックに関する報道を見ると、お堅いNHKのニュースをはじめ、多くの媒体で、特に各競技で傑出した戦績の第一人者を「絶対王者」と呼ぶのが目につきます。(リネール、フェルプス、内村航平など)

この「絶対王者」というのは辞書にも載っていない近年の造語であることは間違いないと思いますが、初出はいつで、造語者はだれでしょう?
実は「プロレスで、小橋建太を秋山準がそう呼んだ」という有力仮説もあるのですが、確実な証拠がありません。

できれば資料付きで、古い時期の「絶対王者」という言葉の使用例を教えてください。

これは
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160814/p1
と連動しています。

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  • 終了:2016/08/21 01:10:03
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ベストアンサー

id:machida77 No.2

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想定されている例と違う用例ですが、筑摩書房の『現代日本思想大系 20巻 マルキシズム』に登場している文章があります。これは1965年です(Google Booksでは1966年なので要確認)
https://books.google.co.jp/books?id=jfvSAAAAMAAJ&q=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E8%80%85&dq=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E8%80%85&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjbmq66n8HOAhUMjpQKHZ59BTEQ6AEI0AIwNw
Google Booksで調べると20世紀に出版された本にいくつかの使用例がありますが、その中ではこれが一番古い例です。

しかしこうした古い例は王位・王権の強固さを表現したもので、現在の用例とは違うものでしょう。
そこで、スポーツ、格闘技、プロレスに関わる例を出してみます。
新聞記事データベースで2000年以前の記事を検索してみました。
最も古い例は、日刊スポーツ1995年1月3日の「連載 この道 500人の証言(2)力道山(2)光浩名乗り朝鮮籍抜く」です。

マスコミのタブーにするには、超ド級の絶対王者でなければならなかった。だから絶対負けなかった。

という記述があります。
同じ連載で1995年2月19日の「連載 この道 500人の証言(47)水原茂(3)若手大胆起用で偉業V3」には

シベリアで生き抜き、猛獣チームを絶対王者に育て上げた「水原哲学の核心」に触れた気がする。

とあります。
これらの例は、多少ニュアンスは異なるかもしれませんが現在の用法である連覇・連勝・無敗に通じるところがあります。
またスポーツニッポン2000年12月25日「【有馬記念】「不況に強い競馬」今は昔 売り上げ144億円ダウン 」には

かつて不況に強いといわれた競馬も出口の見えない平成大不況の前に、一発逆転の絶対王者には選ばれにくい時代となった。

とあります。これは独特の例で、王者という言葉を強調しているだけの表現です。
2001年以降の例を見てみると
日刊スポーツ 2001年9月24日「ボクシング 今日WBC世界Sフライ級選手権 王者徳山昌守、技でV3狙う」には挑戦者ペニャロサの発言として

「100%勝つために日本に来た。絶対王者になります」

というのがあります。
日刊スポーツでは同様の例が他にもあります。
同紙2002年8月29日「バトル Dynamite! 代役バンナ、フライを壮絶KO」でバンナの発言

今後はK-1に集中する。今年は絶対王者になりたい。

他に2004年より前の例として、日刊スポーツ2003年7月13日「バトル 新日本・大津大会 安田、NWFベルト獲得へ「改心」」では

魔界倶楽部の安田忠夫(39)が12日、付け焼き刃の改心でベルト奪取を願懸けした。今日13日の金沢大会で高山善広のNWF王座に挑戦するが「絶対王者になりたい」と、神にもすがる心境で、ふと思いついたのが善行だ。

という文章がみつかりましたが、これら3例は全て「絶対に王者になりたい」ということで別物しょう。

id:gryphon

ありがとうございます なるほど例は見つかる…こういうのを「孤例」と判定するのと、「発祥」とするのは、どう定義すべきか難しいわあ、これ。

2016/08/16 01:06:57

その他の回答2件)

id:MEI-ZA-YU No.1

回答回数4756ベストアンサー獲得回数767

ポイント34pt

http://www.hi-net.zaq.ne.jp/bupef907/mona_home.htm
この方のHPに「絶対王者」という言葉が [2002.05.03] に登場しています。
小橋建太よりは確実に前です。

天皇家と鬼との関係強化は室町期に突然始まったのではなく、
武士が力を得はじめた頃の200年前から始まっていた。熊野詣である。
宇多上皇に始まり、白河上皇、鳥羽上皇、後鳥羽上皇がそれぞれ院政をしきながら10~30回も熊野に御幸したのである。
天皇は伊勢神宮に守護神があるので、たとえ熊野権現信仰があっても行幸はできない。上皇だから可能なのである。しかし信仰だけが熊野詣の理由ではないだろう。
網野は『異形の王権』で、清浄光寺の後鳥羽天皇像にあるように、
後鳥羽天皇は頭上に皇祖神の血統と密教の教主・大日如来の付法を受け継いで日本に現れ出た絶対王者として自らを定めたのであると言う。

http://www.hi-net.zaq.ne.jp/bupef907/books084.htm

他この記事も古そうですが、日付けないので参考まで。
http://web1.kcn.jp/tkia/mjf/mjf-38.html

真言密教に基づく両部神道によると、天照大神は大日如来の化身である。つまり後醍醐帝は、頭上に皇祖神の血統と密教の教主・大日如来の付法を受け継いで日本に現れ出た絶対王者として自らを定めたのである。



『皇帝政治と中国』梅原 郁(著) (2003/10)
https://www.amazon.co.jp/dp/4891746335
https://books.google.co.jp/books?id=Q79OAAAAMAAJ&q=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E8%80%85&dq=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E8%80%85&hl=ja&sa=X&redir_esc=y

16 ページ
皇と帝を一つにした熟語は『書経』の「呂刑」などにもあらわれるが、おおいなる上帝、光輝あふれる絶対王者の意味として使ったのは、秦の始皇帝だった。


【追記】
こちらも個人のHPですが、もっと古いのがありました。(2001/02/01?)
http://www.urban.ne.jp/home/geh02166/
http://www.urban.ne.jp/home/geh02166/history/96.htm

そして5月6日「K-1 GRAND PRIX'96」。2年連続優勝という、「絶対王者」ピーター・アーツの身に降りかかった災厄・・マイク・ベルナルドの剛腕フックの前に2度のダウンを奪われ轟沈。

インターネットアーカイブでも2001年5月1日の時点で残っています。
https://web.archive.org/web/20010101000000*/http://www.urban.ne.jp/home/geh02166/history/96.htm

id:gryphon

ありがとうございます、どこの表現が現在につながると定義するのか、あんがいむつかしい・・

2016/08/16 01:02:28
id:machida77 No.2

回答回数3ベストアンサー獲得回数1ここでベストアンサー

ポイント33pt

想定されている例と違う用例ですが、筑摩書房の『現代日本思想大系 20巻 マルキシズム』に登場している文章があります。これは1965年です(Google Booksでは1966年なので要確認)
https://books.google.co.jp/books?id=jfvSAAAAMAAJ&q=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E8%80%85&dq=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E7%8E%8B%E8%80%85&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjbmq66n8HOAhUMjpQKHZ59BTEQ6AEI0AIwNw
Google Booksで調べると20世紀に出版された本にいくつかの使用例がありますが、その中ではこれが一番古い例です。

しかしこうした古い例は王位・王権の強固さを表現したもので、現在の用例とは違うものでしょう。
そこで、スポーツ、格闘技、プロレスに関わる例を出してみます。
新聞記事データベースで2000年以前の記事を検索してみました。
最も古い例は、日刊スポーツ1995年1月3日の「連載 この道 500人の証言(2)力道山(2)光浩名乗り朝鮮籍抜く」です。

マスコミのタブーにするには、超ド級の絶対王者でなければならなかった。だから絶対負けなかった。

という記述があります。
同じ連載で1995年2月19日の「連載 この道 500人の証言(47)水原茂(3)若手大胆起用で偉業V3」には

シベリアで生き抜き、猛獣チームを絶対王者に育て上げた「水原哲学の核心」に触れた気がする。

とあります。
これらの例は、多少ニュアンスは異なるかもしれませんが現在の用法である連覇・連勝・無敗に通じるところがあります。
またスポーツニッポン2000年12月25日「【有馬記念】「不況に強い競馬」今は昔 売り上げ144億円ダウン 」には

かつて不況に強いといわれた競馬も出口の見えない平成大不況の前に、一発逆転の絶対王者には選ばれにくい時代となった。

とあります。これは独特の例で、王者という言葉を強調しているだけの表現です。
2001年以降の例を見てみると
日刊スポーツ 2001年9月24日「ボクシング 今日WBC世界Sフライ級選手権 王者徳山昌守、技でV3狙う」には挑戦者ペニャロサの発言として

「100%勝つために日本に来た。絶対王者になります」

というのがあります。
日刊スポーツでは同様の例が他にもあります。
同紙2002年8月29日「バトル Dynamite! 代役バンナ、フライを壮絶KO」でバンナの発言

今後はK-1に集中する。今年は絶対王者になりたい。

他に2004年より前の例として、日刊スポーツ2003年7月13日「バトル 新日本・大津大会 安田、NWFベルト獲得へ「改心」」では

魔界倶楽部の安田忠夫(39)が12日、付け焼き刃の改心でベルト奪取を願懸けした。今日13日の金沢大会で高山善広のNWF王座に挑戦するが「絶対王者になりたい」と、神にもすがる心境で、ふと思いついたのが善行だ。

という文章がみつかりましたが、これら3例は全て「絶対に王者になりたい」ということで別物しょう。

id:gryphon

ありがとうございます なるほど例は見つかる…こういうのを「孤例」と判定するのと、「発祥」とするのは、どう定義すべきか難しいわあ、これ。

2016/08/16 01:06:57
id:cider_kondo No.3

回答回数96ベストアンサー獲得回数3

ポイント33pt

ブクマでtype-100さんが「どうも翻訳臭いのだが。」と指摘されていたので、Googleブック検索で調べてみました。

最古の用例は1854年に出版された紋章学の本
『Grammar of British Heraldry』著者 William S. Sloane-Evans
https://play.google.com/store/books/details?id=6zlmAAAAMAAJ&rdid=book-6zlmAAAAMAAJ&rdot=1

の中で、イノシシのことを

「absolute champion amongst Beasts」獣の中での絶対的王者

と形容しており、かつこれは先行する書籍からの引用のようです。
原文ではこの後、牙が攻防に優れた武器であることを説明しており、王権や権威でなく、戦闘力から来た表現であることが窺われます。
ただ、この表現がその後一般化したかというと、そうでもないようです。

スポーツ的な起源として有力に見えるのはソ連です。
スニペット表示のいくつかの資料を見ると、5回連続でソ連国内競技会で1位を取ると『Absolute Champion of the USSR』なる称号が与えられたようです(原語不明)。
年代を見ると1950年代にはすでにあった称号のようです。

スポーツ以外(?)だと、チェスにおいてもこの称号が与えられることもあったようです。

ロシア語Wikipediaとか調べれば具体的な事がさらに分かるかも知れませんが、この表現が、例えばボクシング界経由などで輸入された可能性は相応に高いように思われます。

id:cider_kondo

ウィキペディア経由で確認しましたが、どうやらAbsolute Champion of the USSRに相当するロシア語は
абсолютного чемпиона СССР
のようです。
これで画像検索すると、ソ連が強かったスポーツ分野(チェス含)が色々出て来るので、それらの分野の人を西側に紹介する際に直訳輸入された、というのが一番「ありそうな話」に思えます。
ソ連/ロシアの歩兵師団を「狙撃兵師団」と書くような物でしょうか(分かりにくい形容)

2016/08/16 15:11:50
id:gryphon

ありがとうございました。実は無差別級王者のほう(体重の階級制度があるスポーツで)「アブソリュート王者」と呼ぶところもあり(一時期のパンクラスなど)このへんがまたややこしいところです

2016/08/25 09:54:48
  • id:a-kuma3
    ミック・ドゥーハンが、絶対王者か絶対的王者と当時に呼ばれていたような記憶があって、事故る直前や 1998 年の GP500 の動画をいくつか見たのですけれど、今のところヒットせず。
    気のせいかもしれません。
  • id:miharaseihyou
    MEI-ZA-YUさんの回答から推測すると、古代中国の儒教以前からあった概念と言葉らしいね。

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