ふと気になったのですが人口比15%も暮らしている左利きの方は、
右利きが普通の社会では異方性肢体発達障害者等とカテゴライズされないのはなぜですか?
社会生活での困難が単に目立ちにくいからですか?
私も左利きですが、左利きなんて見慣れてるし別に仕事でも困ってないなどというのは思い込みです。右利き優先社会は、コミュニケーション能力第一主義の現代社会と似ていて私たちは発達障害者と同じように社会生活に困難を強いられています。しかし多くの左利きは自分を障害者と見られるのが生活の上で不都合であるため言いだせません。昔からいるため今更誰も見方を変えようとも思いつきません。しかし、本来は左利きは発達障害者を規定するのと似た論理で障害者か、相当の存在ではないでしょうか?
以下が事の発端となった記事です
http://anond.hatelabo.jp/20170524163121
それだけ、右利きのものもあるし、左ききは、治すのも大変ですよね。それは、おかしな話ですね。ハンデはあると思います。ただ、障害は、もっと重いものも、日本では働く場所も少なく、冷たいですよね?なんとも、言えませんが、ハンデのある人に冷たい社会が普通ではないと思います。よく、質問を批判できる神経私にはわかりません。頑張って下さいませ。
どう考えても発達障害と同格とは思えない。機構が単純なので、『右利きが左利き用ハサミを使ってみる』程度のことで理解し合える。
発達障害者は左利きより困難が酷く、左利きは専用の道具を与えられれば普通の人と理解し合えると仰られるのですね。
左利きについて
脳の構造が普通の人とは異なり心身に一定のズレが出ているが、専用の道具を用意できれば普通の人同等に働ける。だから障害者ではないと。では様々な理由で道具を用意できない/されない左利きは理解しあえない障害者同等と言うのですか?
「左利きって何か変わってるね」「左利きって発想が突飛だよね」は事実であり、最新の脳科学では左右の脳の神経構造や繋がり方が普通の人と大きく異なっていることが解明されてきています。人口比でマイノリティーに属し一定数生まれてしまう面では他の障害者と同等です。受け入れられる社会や時代なのか、という外的要因も障害者認定に関わってくるでしょうね。以上の理由により、あなたが思うより複雑な問題かもしれません。
軽度発達障害について
脳の構造が普通の人とは異なり心身に一定のズレが出ているが、タイプにより専用の環境を用意できれば普通の人同等に働ける。しかし一括りで障害者扱いされています。
困難と障害者認定の度合い
左利きならばみな普通に暮らせるが発達障害者なら皆普通に暮らせてこなかったと仰られるのですね。
「障害者」というカテゴリーで健常者が過剰に特別視するか否かでも本人の社会生活において困難の度合いも変わってくると思われます。「あいつ異方性肢体発達障害者だからw」「(私は異方性肢体発達障害なんだ...)」などとあなたが左利きとして経験したらどう感じますか?暮らしにくさは倍増となってしまいます。最適な環境が用意されたとして健常者と同等の生きやすさにはなりません。
以上の点について参考URLの左利きにおける困難の項を再度ご理解頂いた後、ご意見とその論拠を示していただけますと閲覧される方の参考になり障害者と健常者が理解し合える社会への貢献に繋がります。お手数ですが宜しくお願い致します。
逆に「発達障害」の問題を軽く考えすぎているように思われます。
「私たちは発達障害者と同じように」なのか「軽度発達障害」なのかがぶれています。なお、「左利き」「軽度発達障害」よりはるかに軽度という認識です。
「専用の環境を用意できれば」という条件ならば、それは「専用の環境を用意する」ために「障害者」の指定が必要です。
また「障害者として認められるべき」と主張したいのか「障害者と認められたくないのか」が文章を読んでいて分かりません。質問の文章では「認められるべき」と書いているように見えますが、上のコメントでは「認められると困難が増える」と書いているように見えます。
困難があっても見えにくいからだと思います。
私は右利きですが、左利きの人がそんなに困難を抱えているなんて知りません。ラジオなどで左利きの人が左利きの話をしていても、そんなに苦労しているという話を聞いたことはありません。
本当に困難があるなら、声を上げなければ聞き入れてもらえません。
15%というのは少なくない数です。団結しようと思えばさほど難しくない筈です。
身体・知的・精神障害者は合わせて約6%ですが、全国でその親らが団結して福祉法人などを作り、障害者福祉を実現させています。自ら行動を起こしたからです。
「生きてゆくのに不便はあっても、困難はないから左利きは障害者でない」というご意見の論理破綻
不便だけなら本当に障害者でないのでしょうか。発達障害者にも程度とタイプがあり上記条件に当てはまるものも存在しています。しかし一括りで障害者とされています。本人の感じる不便さが障害者カテゴライズの基準ではないようです。
左利きを軽度異方性肢体発達障害者などと言い換え、わざわざ障害者にカテゴライズし社会生活の困難を社会が作っている可能性もあります。左利きの方は軽度異方性肢体発達障害者と人が自分を認識する社会での暮らしを想像して感想をコメント頂けると障害者社会への理解が深まり大変参考になります。宜しくお願い致します。
暖かいお言葉ありがとうございます。
2017/05/25 02:41:22障害のついての子どもからの疑問をはぐらかしてしまうような恥ずかしい大人にはなりたくないものです。
左利きは普通の人(右利き)と比べ脳の構造や左右の脳の優位性、脳同士の繋がり方も異なり感じ方考え方や行動に無意識に影響がでていることが最新の脳科学で明らかになっています。
ですから「矯正できれば障害じゃない」は意外に的外れなのです。心身が物理的な差異があるため、左利きを右利きと同じ身体や心に直すことはできません。
なんとか一見大多数の人っぽく直せれば障害者ではないとするなら、発達障害者も矯正や薬で一見大多数の人っぽくなったら障害が「治った」と言えてしまうのでしょうか。
「困難を感じないから障害じゃない」も意外に的外れです。それでは小さい頃に矯正されず左利きで困難を感じる大人、矯正する前の左利きの子どもは障害者なのでしょうか。発達障害者と診断されても本人の慣れや工夫で困難を感じなかったら障害者でなくなってしまうのでしょうか。
障害者とは、社会的弱者の事です。現在、時間がせかせかする時代で、それに合わせられない人間は、障害者です。矛盾した世の中は、改善されないと、発展は、ありませんね。人間が、虫になった、脳のない人間が、社会では、活躍しています。社会的構造も変ですね?心もっと魂が崇高な人形になって、将来の地球を宇宙を存在を認められる明るい話がしたいです~
2017/05/25 07:27:28子供は、かわいそうです。人間しか変えられない未来を知っていますね。そのスピードが早まらないと全てがすくえない。そろそろ地球も寿命かな