これは、偶然なのでしょうか、
いや、等族貴族クラスに意識的に限定されていたからなのでしょうか?
⇒ 貴族にもランクがあり、明確な線引きがあるのでしょうか?
そのカテゴリーには、君主になれる家柄と、
そうでない家柄という区分けがあるのでしょうか?
⇒ それを列強も意識して、
つまり、君主になれる家柄と
そうでない家柄という
カテゴリーを意識して、
19世紀から20世紀にも適用したのでしょうか?
因みに、第一次大戦後のフィンランドは、
結局、君主国にはなりませんでしたが、
君主候補となったのは、ドイツの等族貴族出身です。
実力で王になったオランイェ家(オランダの各州の統領⇒連合統領⇒オランダ王家)、サボイ家(⇒サルジニア王家⇒イタリア王家)はどうなのでしょうか。ドイツ系ではないから、等族貴族ではないですけど。
しかし、フランスで、オレンジ公国という格の高い公国(プリンス)の君主であるから、ドイツ(東フランク)の等族貴族に匹敵するのでしょうか。
サボイはどうなのでしょう。もとは、神聖ローマ帝国の等族(フュースト)だったのがポイントかもしれないですが。
ボナパルト家は、オレンジ家やサボイ家とは全く違うと思います。どういう目で見られていたのでしょう。サポレオン三世のときは、もう成り上がりとはそれほどには思われていなかったのでしょうか。
コメント(3件)
各国の王族や貴族達からは、
成り上がりと言われて
仲間とは認められませんでした。
ナポレオン1世ですが、
マリールイズと婚姻したことで、仲間と認められる為に、
あるていどは効果はあったのでしょうか、
どうであろうか、と思っております。