だとするとユダヤ教徒なんでしょうか。
また、イレーヌ嬢の父である、その銀行家は伯爵ということです。ダンベール伯爵ということです。アンベールというのは采地名でしょうか。
カーンというのは、ユダヤ系に多いですね。アメリカのユダヤ人でコーヘンというのが多いです。
もともとの由来はよくわかりませんけど。
ダンベールは、リエゾンがあるので、リエゾンを外すと、ド・アンベールです。
フランスで、名前にドがあるというと、貴族かな、と思ったりします。
別記のようにもろもろ考えていますが、なにか皆さまの知識などで関連するものがあれば、
教えて下さればうれしいです。
①もともと、カーンという名前のユダヤ系ファミリーであったが、
アンベールという称号?を貰ったのでしょうか。
②ドとは、フランスでは貴族に多いということですけど、カーン・ダンベール家は、
国王から、貴族として、認められたからでしょうか???。
だとすれば、ブルボン王朝の王様からだと思います。
ナポレオン帝朝はドは与えたりはしないと感じますので(第一帝政、第二帝政とも)。
③「アンベール伯爵領」というものがあり、それを購入したんでしょうか。
爵位付の土地があったということが前提になりますが・・・
ただ、だれでも買えば、爵位が名乗れるかわかりません
(ただし、例えば、侯爵の一族ならOKでしょう)。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Famille_Cahen_d%27Anvers
祖父はダンベールと称したようです。既に貴族だったかわかりません。
とにかく、1881年まで存命だったようで、
復古ブルボンからオルレアン朝、第二共和政から、第二帝政を経て第三共和政の時期に、
成人として生きた人です。
イレーヌ嬢の父であるルイ・カーン・ダンベールは、
ダンベール伯爵を称したとのことは、少し調べるとわかります。
ちなみに、父の兄、長兄でしょうか、エドワルド・カーンは、
つまり、イレーヌ嬢の伯父は、トーレアルフィーナ侯爵と称してます。
父のルイ・カーンは、トーレアルフィーナ侯爵家の子息ではあっても、
次男以下であれば、侯爵を名乗ることは出来ず、
その後、アンベール伯爵と名乗ったということでしょうか?
アンベール伯爵領を購入して、アンベール伯爵になったんだろうか
とも思いました。
当方、フランス語できないので、あんまり読めませんし、これ以上はお手上げです。
コメント(9件)
彼女の最初の嫁ぎ先はスファルディ系ユダヤ人の伯爵(コモンド伯爵)です。こちらもユダヤ教徒かもしれないです。
結婚式はユダヤ教式かもしれません。
ユダヤ教徒に対し、カトリック王であるブルボン王朝が、爵位を授けるだろうか、と疑問に思った次第です。
d' ~の
モイーズの曽祖父にあたるこの人の両親は名前にdeがありません
https://www.geni.com/people/Abraham-Salomon-de-Camondo/6000000008398275321
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世より伯爵の称号を得た?
http://madparis.fr/francais/musees/musee-nissim-de-camondo/la-famille-camondo/la-genealogie/abraham-salomon-de-camondo-1781
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は
彼の寛大さに感銘を受けたとあります
https://en.wikipedia.org/wiki/Abraham_Salomon_Camondo
イタリアのいくつかの慈善団体に寄付をしたそうです
https://fr.wikipedia.org/wiki/Famille_Cahen_d%27Anvers
1808年の法律を回避する目的で帰化を遅らせた、といった記述があります
その法律はたぶん↓の事で
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:KweEZZuNlpIJ:https://waseda.repo.nii.ac.jp/%3Faction%3Drepository_uri%26item_id%3D7155%26file_id%3D20%26file_no%3D8+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
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ナポレオンによるユダヤ人政策として、もう一つ 1808 年 7 月 20 日の法令10が挙げられる。ユダヤ人は伝統的に旧約聖書から引用した名や、出身地の村の名を自分の名前とし、さらには「アブラムの息子」のように表すだけで独立した名前を持っていない場合も多かった。この法令では、「現在まで姓と固定された名を持っていないものは、この法令の公布後 3 ヶ月以内にそれをつけ、居住している市町村の民籍事務管掌者officier de l’état civilの前で登録しなくてはならない」(第 1 条)として、ユダヤ人が他のフランス人と同じような姓名を持つことが強制された。また、「姓として旧約聖書の名も都市の名もつけることは認められない」(第 3 条)とされたので、結局多くの場合ユダヤ人は新しい姓名を名乗らざるを得なくなった。
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つまり都市名を冠した姓を先に付けてからフランスに帰化したって事なんでしょうね
Meyer Joseph Cahenの出身地はイギリスらしいです
d'Anversですが、「アンベールの」、と言った、ただ単に出身地を示すということで、
「de」があるから、貴族というわけでもない、
そんな理解に繋がってきそうな、そんな感想を持ちました。
「カーン」というものでは、ファミリーネームとしては、認められにくかったので、
そこで、「ダンベールの」というものを、ファミリーネームとして採用してみた、
ということかな、と感じました。
「カーン」というのは、ミドルネームみたいに感じます。
当時も、フランス人の名前としては、ファミリーネームという印象を与えないものだったんだと思います。
仮に、何代か共通で使っていたとしても。
① Meyer Joseph Cahenの「カーン」では、
フランスでは、ファミリーネームとは認めてもらえなかったんでしょうか。
なにをもって、ファミリーネームとみとめられるんでしょう。
② アンベールはベルギーの地名のようです。Meyer Joseph Cahenにとって、どういう関係があるんでしょう。
③ d'を付けることに何ら制限はないのでしょうか。
そういえば、バルザックは、オノレ・ド・バルザックですが、貴族ではなく、
勝手に、ドを入れたという話があります。
そういうことを前提に考えると、
Meyer Joseph Cahen が、d'Anvers を 姓に加えても、
なんら差支えなかったということでしょうか。
Cahen(Cohenの変化形、祭司)も使えないでしょうね
https://en.wikipedia.org/wiki/Cahen
②1833年から1841年(28-36才)まではアンベールに居住していたようです
そして1846年(41才)までのいずれかの時期にパリに移住していたようです
https://www.geni.com/people/Joseph-Meyer-Cahen-d-Anvers/6000000013218192883
あと訂正、生まれはドイツのようです
ただ学校はイギリスの学校を出ていたと別の資料にあったと思ったので
移住なのか留学なのかそのへんの詳細はよく分かりません
②ベルギーの地名を、姓に持ってくるんですね。
この結果、カーンはミドルネームとなり、「ダンベール」が姓となったん でしょうか。
それとも、「カーン・ダンベール」が姓となったんでしょうか。
などと、疑問を持ってしまいました。
フランスでは、このとき、姓というものを、整理したんでしょうか。あるいは、戸籍を整理する過程で、
姓も整理したんでしょうか。
(ちょうと、日本が 明治になって、国民一人一人にたいし、
姓をひとつ、名をひとつ、と整理し、「姓+名」の順序としたうえで、コロコロ変えたりしないように、
と決めたように)