「知る楽~稲村和夫リーダーの条件」という番組を見ました。
番組自身は経営理念の話が中心だったのですが、
番組中に
「理念を曲げないと会社が持たないような時はどうするのですか?」という問いに、
「つぶれるんです。理念を曲げてまで生きてても仕方がないでしょう」とばっさりでした。
後日、友人とこの話をしていた時に、
稲村氏はこの質問自体が本来無意味であることを見抜いていたのでああいう回答をしたと言っていました。
いっけん賢そうな質問ですが、実は無意味な質問であるとも言っていました。
そこで教えてください。
この質問が無意味であるというのは何処にあるのでしょうか?
稲村氏(稲盛氏?)の意見と同じかどうかわかりませんが、自分の考えで書かせていただきます。
#この質問とその回答が「無意味」かどうかというと「無意味」とも思いません。このためご質問の意図からは外れるかもしれませんね・・・。
現状の日本ではまだ財閥系の会社が「理念よりも生き残りを優先する」というような形で生きているのは確かです。そのような形も「あり」とは思います。しかしながら、本来市場経済では、「会社=理念」であるほうが資本の分配がうまくいくのです。そしてその「理念」は純粋なものであるほうが良い。
というのは、会社がある理念に基づいて設立されているならば、理念を投資家が評価し、今後生き残れそうな理念には投資をし、生き残れなさそうな理念からは投資を引き払う、という形で資本が流動的に分配されます。
たとえばGoogle社などは、その理念が純粋であり、そしてその理念の将来性が評価されたために、早い段階から市場で非常に高い株価をつけ、それによってより多くの優秀な人を雇い、設備投資を行うことができます。これによって経済そのものの「重心」が動いていきます。
このような市場経済のダイナミックさをできるだけ利用しようとするとき、会社が理念に基づいて構成されていて、理念と運命を共にする、というような形が望ましいのです。そしてその理念が意味をなくしたときには買収、倒産などによって人材や資産を次の世代の会社(=理念)へと引き渡すわけです。倒産することは必ずしも悪いことではなく、それと同時に生まれる会社も多ければ経済全体としては問題ありません。
もっとも現実的には、経営者は時代にあわせて理念をいじったりもしますし、あまり理念を共にしない「部分」が集まっている会社もあるでしょう。
そのような現実に対し、より理念に忠実であることによって市場経済を活用しよう、という表明なのではないでしょうか?